「渚に立つ。これは寂寥から立ち直れない者がなすことのできる最後の行為だ」
この声は、近代に在って、風土に立って、古代の力に触れ、近代を越えることを考えぬく者の声。 折口信夫に触媒に沖縄から放たれる声。
「この世界に私たちがあまりに肯定的になると、詩を成立させる意志を溶解するはめにでくわすのだろう。もうこんな世界では魂は窒息するしかあるまい」
「異質をみつめて息をのむ。この酔えない意識を行きつくところまで推し進めれば、快楽と拮抗する鋭い一行が走る。私はいまそれを信じようとしている」
そのためには、既にここにある近代日本文学の論理の枠もまた、無用のものになる。
清田政信は、 日本の私小説に演じられた実行の「論理」とははっきりと区別された、「無意識」への到達を語る。 生活をできるだけ文学と無縁に、無意識に生きるという覚悟を語る。 これこそが現実へのもっとも深みからの批評なのだという構えをもって。
「論理から遠く私が最も意識から遠く、言葉のかかわり知らぬ領域を充たしている」無意識 のときを、清田政信はたたえる。
そこから何度も出立することができるのだと、沖縄の詩人清田政信は言う。