李良枝「由熙」 メモ

――学校でも、町でも、みんなが話している韓国語が、私には催涙弾と同じように聞こえてならない。からくて、苦くて、昂っていて、聞いているだけで息苦しい。 

 

우리나라 (母国)って書けない。(中略)私は書いたわ。誰に、とはっきりわからないけれど、誰かに媚びているような感じを覚えながら、 우리나라 、と書いた。(中略)嘘つき、おべっか使いって、その誰かにいつ言われるかとびくびくしながら

 

笛は一番素朴で、正直な楽器だと思うって、由熙は言った。口を閉ざすからだって、口を閉ざすから声が音として現れる、とも言っていたわ。こいいう音を持って、こういう音に現れた声を、言葉にしてきたのがウリキョレ(我が民族)だと、ウリマルの響きはこの音の響きなんだと、由熙は言ったわ。 

 

 

저는 위선자입니다

저는 거짓말장이입니다 

 

※由熙という存在の不自然。

 人間関係の距離  

 

※語り手のオンニの不自然

 由熙への愛着

 

――ことばの杖。

――……。

――ことばの杖を、目醒めた瞬間に掴めるかどうか、試されているような気がする。

――……

――아なのか、それとも、あ、なのか。아であれば、 아、야、어、여、と続いていく杖を掴むの。でも、あ、であれば、あ、い、う、え、お、と続いていく杖。けれども、아、なのか、あ、なのか、すっきりとわかった日がない。ずっとそう。ますますわからなくなっていく。杖が、掴めない。 

 

※ことばの杖。 語りかける相手を持たない、行方のわからない、言葉の混乱。

 

※これは、在日と韓国人の間に生れた物語ではない。

  よりどころを持たぬ者たちの「共依存」「愛着」の物語。そこからどう抜け出す?

  言葉は、ここでは結び合うものではなく、断絶の象徴、痛みの形象。「杖」は「針」であるということ。

 

杖を奪われてしまったように、私は歩けず、階段の下で立ちすくんだ。由熙の二種類の文字が、細かな針となって目を刺し、眼球の奥までその鋭い針先がくいこんでくるようだった。

 次が続かなかった。

 아の余韻だけが喉に絡みつき、아に続く音が出てこなかった。

 音を捜し、音を声にしようとしている自分の喉が、うごめく針の束に突かれて燃え上がっていた。

 

 

※由熙が語らなかったこと。在日ー韓国人以前に、この物語は、かぎりなく、在日―日本人の間で繰り返されてきたものであり、今も繰り返されているものだということ。

「由熙」の背後には、語りえぬ物語が黒々と果てしない深さで横たわっている。

そんなこともわからずに、よくも能天気に芥川賞なんか出すね、日本の文壇は。針の言葉で書かれたこの小説を読んで、目がつぶれないのかね。ある意味、既に目はつぶれているのかしらね。

 

※文字は、愛着を脱する杖にはならぬということ。