きのう(9月28日)、奈良で一番最初に親しくなった友人たちを訪ねていった。
奈良で、水俣の友人つながりで、出会った人たち。
ケーキ作り得意女子と、うどん作り得意男子。
ケーキ女子は北海道・江別出身で、もともとは母方は山形、父方は福島相馬。
両親は北海道で出会って結婚したわけで、そもそもは両家共に開拓移民の家。
「北海道はアイヌの生きる土地だったんですもん。それを私たち「日本人」が奪い取ったんですもん。北海道に生まれ育って、北海道に身の置き場がないんです」
相馬から北海道に移民した貧しき人々は、そもそも天明の飢饉のあとに、越中・越前からひそかに相馬に移民した真宗門徒の末裔なのだ。
さらに言うなら、この真宗門徒の末裔たちが、原発事故のために、さらなる移住を強いられた人々でもあるのだ。彼らは、天明の頃に辿ってきた道を逆に戻って、そのうちの多くの者たちが新潟・柏崎へ。
福島浜通りは、原発経済のうえに成り立っていた暮らしで、原発で働く人々は、各地の原発をめぐるものだから、原発関係者同士で結婚することも多々あり、福島で行き場を失った人々が、縁を頼って柏崎へ、ということが起こっていたわけです。
さてさて、ケーキ女子は、越前→相馬→北海道と流転してきた一族の娘で、それはすべて時の体制の中で、生きのびるために選択された道で、与えられた選択肢を選ばざるを得なかった民の娘は、いま、その選択がついには北海道の大地の収奪とアイヌ差別に加担していたことに胸がかきむしられる思いだと言うのでした。
ケーキ女子が水俣に向かったのは、偶然ではないでしょう。
そのあたりの経緯はまだ聞いていません。
でも、近代という仕組みを根底から考えようとするならば、誰もが一度は水俣を目指すのではないでしょうか。
とりわけ、そういう人々のなかには、知ってか知らずか、ケーキ女子のように、日本近代のなかでディアスポラを強いられてきた人々もきっと多いのでしょう。
ケーキを作って、うどんを作って、さりげなく人々が集まる「場」をケーキ女子とうどん男子は開いていて、二人はなにも声高には言わないけれど、
(その場に並べられている腑二人の蔵書、レコード、流れる音楽が代わりにいろんなことを声をあげずに饒舌に語っているのですが、それを見るも見ないも、聞くも聞かないも、当然にそこにいる者の自由です)、
そこは、ケーキとうどんに引き寄せられてただそこにたどりつくだけで、そこから新しい旅の行方が見えるような、そういう「場」なんですね。
旅の途上で、そういう場所に辿りつくと、しみじみ嬉しい。