韓国も大文字の歴史の例にもれず、良くも悪くも歴史は男のものであり続けた。
日本の植民地支配に抗して、1919年に上海に設立された大韓民国臨時政府は男性の独立運動家たちの手によるものであり、男性独立運動家によって動かされ、闘われてきた、ということになっているが、
独立運動家たちには家族がいるのであり、妻があるのであり、子がある。
独身の独立運動家たちにもまた、身の回りの世話をしてくれる女性が必要だった。
なかでも、際立って男たちの独立運動に関わったのが、著者の鄭靖和ということになる。
彼女は財政難に喘ぐ臨時政府の資金を調達するために、何度となく危険もかえりみずに朝鮮国内に潜入し、資金を集めてきた。
金九、李東寧といった主要人物たちの身の回りの世話をしたのも鄭靖和だった。
臨時政府の上海から重慶までの逃避行は、単に政府が移転したということではなく、
臨時政府に関わる全ての中国への亡命者とその家族の、苛酷な中国大陸放浪の旅だった。
この回顧録の最初のほうで、鄭靖和はこう語る。
しかし、台所に立つ女の立場は少し違っていた。何よりも先に火をおこし、湯を沸かし、どうにか食卓にあげる食料がなければならなかった。
名前、名誉、自尊、矜持よりは、まず急を要するのが生活だった。(中略) 頭を下げて手足を差し出すめでして、ぼろ一着がさらに切実に必要だったのである。(P56)
鄭靖和による回顧録は、男たちの独立運動を暮らしの面から支えてきた、いわば生活の場からの独立運動史でもあり、旅の記録でもある。
あの時代に中国大陸を行き交った者たち、
同じく中国を拠点に独立運動を展開したベトナム解放同盟(ベトミン)の消息もあれば、
独立闘争のために朝鮮義勇軍や、共産軍、中国軍に身を投じた若者たちのこと、朝鮮人従軍慰安婦のこと、日本軍に徴兵されて中国戦線に投じられた後に脱走した朝鮮人学徒兵たちのこと、朝鮮人学徒兵を苛め抜いた日本軍下士官のこと、敗戦後に中国軍の捕虜となった日本兵のこと……、
彼女の目に映った人びとのこともまた綴られている。
たとえば、解放後、20数年ぶりに朝鮮に帰国するために、重慶から上海へと向かう旅の道で出会った日本兵についてのこんな記述もある。
(彼は捕虜となっ道路整備の労働に就かされていた、この日本兵は旅の一行の中に自分が苛め抜いた朝鮮人学徒兵を見つけ、いきなり土下座した)
彼らはすでに皇軍ではなかった。彼らは人間に戻っていた。仕事をする本来の人間の姿へ。彼らはたとえ監視下で労働していても、正体もない帝国主義の理念や思想に背を押されて戦場に行き、殺戮を繰り広げている姿よりは、いっそう人間らしく見えた。