岩波新書『ヴァルター・ベンヤミン』  メモ

まずはプロローグから。 
 
<死者の記憶を呼び出す言語><死者と共に生きる生者の言語><名づけとしての言語>を思いつつ、読みはじめる。 パリ、プラハで見たホロコーストの死者たちの碑に、記憶のかぎり刻みつづけられる「名」を想い起こしつつ。
 
 
(歴史の天使の眼差しは)人がひと続きの「歴史」を見ようとするところに不断の破局を見抜き、それが今も続いていることを見据えている。
 
「その破局は、瓦礫の上に瓦礫をひっきりなしに積み重ね、それを彼の足元に投げつけている」
 
「彼はきっと、なろうことならそこに留まり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう」。
 
 そうして支配者の「歴史」に名を残すことのなかった死者の一人ひとりを、また「歴史」の物語が忘却してきた出来事の一つひとつを、その名で呼び出し、過去の記憶を今ここに呼び覚まそうとする天使の身ぶりは、言語が「名」としての肯定性を取り戻すことにもとづく、新たな歴史認識の可能性を暗示するものと言えよう。
 
この認識が一つの像を結ぶとき、「歴史」が抑圧してきた記憶が甦る。今や歴史とは、時系列の攪乱とともに、死者とともに生きる回路が言葉のうちに開かれる出来事である。その出来事とともに言語も、名づける力を取り戻す。このようにベンヤミンは、言語と歴史をその可能性へ向けて問うことによって、戦争と暴力の影に覆われた状況の内部に、死者とともに生き残る余地を探っていた。
 
ベンヤミンの批評は、人を死に追いやる神話の呪縛を振りほどく認識として、つねに同時代の状況と向き合っていた。そのうえで「死後の生」を含めた生を、言語において深く肯定すること。これを彼の思考は目ざしていた。」