『ヴァルター・ベンヤミン』  メモ3  名づけるものとしての言語

 

創世記

すべては名づけの言葉からはじまる。

 

著者の柿木さんによって語られる、ベンヤミンの「純粋言語」、名づけとしての言葉

 

人間の言葉は突き詰めれば「名づける言葉」である。言葉を発するとは、名づけることなのだ。 

 

神が、創造した世界を「きわめて良し」としたように、人間も名づける際に、自分が出会う被造物の存在を肯定する。そのことのうちには、その存在を地上の世界の現実にする積極性、さらに言えば、創造性が含まれている。 

 

人間の言葉が本質的に「名づける」ものであるとすれば、発語そのものが、根源的には創造的な肯定なのである。 

 

 

※「名」が唯一無二の命/存在のそれぞれに与えられ、それを無名化/記号化されないことが、命の尊厳であるということに思いを馳せよ。

 

※語り得ぬそれぞれの生の経験を語りだすこと、それは語られるたびに、命を名づけ直し、世界を名づけ直す、はじまりの言葉となり、はじまりの歌となる。

 

※最大公約数の言葉、歌で、命を語り、歌ってはならない。(くそくらえ「絆」! くそくらえ「花は咲く」!  くそくらえ「復興」!)