2019年12月18日 陸前高田  たね屋さんで、たね屋さんの歌を聴いた。 言葉の発生/発声

半年ぶりの陸前高田

官製 津波伝承館からまっすぐ海の方へ。

橋を渡って防潮堤へ。

(この橋は、防潮堤と町を切り離す橋のようでもある)

 

防潮堤には献花台がある。

(ここに献花するのは町の人ではなく、外からやってきた人のようでもある)

 

防潮堤が視界を遮って見えない海を、防潮堤の上から見る。

(嵩上げされた町に人の姿は見えない。多くの人びとは嵩上げのさらに向こうの高台に生活の場を移した。できれば、あまりに心が痛くて、津波の記憶は恐ろしいから、海の方には行きたくない、ずっと海の方には行っていないと、ある陸前高田の人は言った)

 

防潮堤から嵩上げされ町のほうを振り返って、見る。
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嵩上げされた町にポツンと建てられた立派な復興住宅の屋上から、海の方を見やる。

この風景の背後は、旧高田小学校で、いまは市庁舎建設工事が進行中。

この風景の、写真には写っていない、見えない左側には、私が震災後にボランティアで訪れた高田保育所(当時は、高田保育所は津波で破壊されたため、米崎保育園の旧園舎を使っていた)の園舎のあったところで、それもいまでは嵩上げの土の下に埋まっている。

人の姿のほとんどない碁盤目の人工風景の土の下に、無数の記憶を抱えたもう一つの町が、傷ついたまま、言葉を失くしたまま、埋葬されている。

見えなくなってしまえば、やがて、時とともに、地底の町は一筋の地層になって、考古学の範疇の存在になるのだろうか。

 

この人工風景、おなじく近代の極致であるハンセン病療養所の風景を想い起こさせた。「終末」を生きることを強いられたハンセン病療養所では、数多くの「はじまり」の言葉が生まれ出たことを、世のほとんどの人は知らない。

 

陸前高田の、この目の前の、いわゆる「復興」の風景は、明らかに「終末」の風景だろう、

そして、ここでも、この「終末」に抗して「はじまり」を語り、歌い、踊る者たちが、

一人、二人、と現われる。

 

荒野の狂人、あるいは、荒野の賢人。ヤバい人々。野生の芸能者、野生の哲人。

 

荒野は、「終末」を隠蔽した「復興」世界には到底収まりのつかない、はじまりの狂気を呼び出すのである。

(たとえば、いきなり神楽をつくりだした男もいる。震災前にはまったく神楽なんぞには関心もなかった男が。なぜ、どうして、そのようなプロセスを経ての極限状況での神楽なのか、という問いに本人自身も答えられないのだが、それは確かに、芸能の発生の風景なのだという不思議なことが、この荒野では起きている) 

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そのひとり、たね屋さんに会いに行った。

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たね屋さんは、震災前には高校までの英語の授業の他は書いたことも読んだことも話したこともない英語で、いきなり書きはじめた。英語の次には中国語でも書きはじめた。

震災に関する講演にスペインに招かれれば、スペイン語でスピーチをした。ポーランドからの支援のお礼は、ポーランド語で書いた。

 

震災の記憶を日本語で書くのはあまりにつらく、でもその記憶を語らずにはいられず、そのときたね屋さんが選んだのが、たね屋さんにとっては異人の言葉である英語であったという不思議。

 

『The Seed of Hope inthe Heart』

 

しかも、書くほどに、記憶は導きの糸のようにまた別の記憶を呼び出し、

ひとつの物語は、さらに別の物語の糸口となり、回路となるものだから、

この記憶の書はけっして閉じない、限りなく増殖してゆく、生きて息づく記憶の書。 

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たとえば、たね屋さんは、奇跡の一本松を、武蔵坊弁慶のように津波から陸前高田を守って、立派に立ち往生したのだと語る。襲う波はゴジラのようだ。

放射能の賜物のゴジラの波とは、それもまた恐ろしい。(放射能とまでは、たね屋さんは言ってない)

奇跡の一本松に弁慶の姿を見たならば、義経のことも書かねば、頼朝のことも語らねばと、英語で物語る声はどんどん物語を増殖させる。

その瞬間の、切り取られた時間、切り取られた風景、切り取られた物語を語るだけでは、脈々と生と死をつないで今を生きている人間の「語り」にはならないことを、たね屋さんは知っている。

というよりも、生きている者が、生きていくために語るかぎり、そうならざるをえないのではないか。

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記憶の物語が増殖するから、記憶の物語の中から、陸前高田の未来の物語も立ちあがって来るから、(それは「復興」の物語とは当然に違う)、物語る声は到底止まらない。

今も日に最低1時間、多い時は9時間は、英語で声を書きつけていく。

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スペインに講演に行った折りに、ギターをプレゼントされたのだそうだ。

それ以前はギターを弾いたことはない。でも、いただいた以上は弾かなくちゃいかんと、練習して弾きはじめたのが、今ではギターを抱えた歌い人。

 

日本語では書けない。( ) だから英語で書いた。

ギターをいただいた。( ) だから弾き語る。

 

この( )のところにある、あえて語らぬ声に耳を澄ますこと。

「復興」を高らかに語る近代日本語/近代日本の外に出てゆく、声と歌。

正しい文法? 正しい言葉? くそくらえ。伝わることが大事でしょ。

 与えられた言葉では、伝えたいこと伝えるべきことを伝えられない、そのもがきのなから、はじまりの言葉が生まれいずる。

 

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