古墳の存在を知ったのは、後藤明生「しんとく問答」で。ずいぶん前に読んだ。
当時は東京暮らしだったので、そう簡単には行けなかったのだが、
今日、ふと、ここ(現住所:生駒の近く)から近いじゃないかと思い立ち、車で30分。あっという間に高安着!
★享保二十一年(1736)刊『日本輿地通志』河内之七、二丁表に、
★享和元年(1801)刊『河内名所図会 巻5』に下記のような記述がある。
真徳麿の古跡 山畑村の中にあり。土人、鏡塚と呼ぶ。一説に、俊徳あるいは新徳に作る。この人、姓氏分明ならず。あるが曰く、百済王の後にして、山畑長者と号し、延暦中の人なり。謡曲「弱法師」に見えたり。大坂天王寺南門の外に真徳街道あり
その鏡塚を訪ねてゆく。
路地に入ると、家々の間に古墳。
反対側から。
鏡塚から、石切方面を眺めやる。
焼香台に「実川」とある。