反復によって、オリジナルとコピーの差異は消失してしまう。重要なのはオリジナルではなく、コピーの方なのだ。コピーの反復こそがオリジナルの純化をもたらす。
(中略)
始原は隠されること、「空」であることによって、逆に反復をもたらす。反復は、外のさまざまな要素を内へと取り組んだ上で、それを純化する。
安藤礼二『列島祝祭論』「翁の変容」より。
しかし、そのオリジナルというのは、コピーが反復されてゆくほどに、果てしなくますます「空」であり、「虚」であり、「夢」であり、「幻」になっていき、それがあらぬ方に極まると、禍々しい「純」になるように、私には感じられる。