東大寺 二月堂 修二会に行く前に  メモ

修二会の「悔過」の本尊は、小観音。これは「生身の観音」とされている。海の彼方からやってきた。

 

※小観音は、「観音が住まう南海の果て、補陀落の山から「生身の観音」の訪れを希った」僧実忠の想いに応えるようにして、「初瀬川が何度も名前を変えて注ぎ出る難波の津に、彼方の世界から、「閼伽」の器に乗って出現した」。

 

長谷寺 十一面観音(初瀬川)、室生寺 十一面観音(初瀬のさらに奥)、三輪 十一面観音(現在は聖林寺。大和)

 十一面観音は、水の神である。(つまりは龍であり、蛇でもある)。

 三輪ー初瀬ー室生=大和と伊勢を結ぶ道(水路)

 この文脈(水脈)のうえに、二月堂小観音も位置づけられる。

 この水脈は、さらに、大和ー若狭へとつながってゆく。

 

 水の女神たる十一面観音は、大和と伊勢、東の果ての海を一つにつなげるばかりでなく、大和と若狭、西の果ての海をも一つにつなげるのだ。それこそ、聖なる火の祭典である修二会のなかに組み込まれた、聖なる水の祭典である「水取り」が実現していることである。十一面観音は、聖なる火と聖なる水を一つにむすび合わせる。そのとき、二月堂は、自然を構成する元素同士が一つにむすび合う、原初の舞台に変貌を遂げる。「連行衆」は、自らの身体を変貌させ、自然を構成する元素同士、火と水の聖なる結合を可能にする。(中略) 「達陀(だったん)」である。

 修験の徒たちが、聖なる山のなかにひらかれた自然の舞台で執り行っている行法の一つの原型が、そこにある。(安藤礼二『列島祝祭論』より)

 

 

火が焚かれる場は、水の流れの結び目でもあるということ。

 

大松明によって二月堂に連行衆が導かれる。十一面観音への「悔過」が行われる。

神名帳が読みあげられる。

 

列島のさまざまな場所、さまざまな聖地から、仏たちではなく、神々の名が読み上げられ、そこ、法会の場に勧請されるのだ。仏教の信仰の最大の拠点に、神道を成り立たせているほとんどすべての神々が、呼び集められるのである。二月堂は仏たちと神々が出会う一大パンテオンとなる。

 

このとき、名を読み上げられたのに気づかずに法会への参加が遅れた若狭の遠敷明神が、その詫びとして、若狭から水を送ったのが「若狭井」であり、これによって水路はつながった。

 

「水取り」は、仏と神の約束、つまりは最初期の神仏習合ーーしかし、そうした融合状態こそが、この列島に定着した最初期の仏教の真実であったのかもしれない――の儀礼に、その起源をもっている。「水取り」がはじまった段階で、この列島においては、すでに、仏教と神道の相互浸透がはじまっていたのだ。(中略)修験がはじまるのも、そうした地点、「古密教」(「雑密」)による神仏の集合から、であろう。修二会のなかでも神道的な呪法、つまりは「古密教」的かつ神仏習合的な呪法をつかさどる「呪師」に先導されて「水取り」が行われているからである。 (同上)

 

※ 上記の記述は面白いながらも、「仏教」と「神道」がきっぱりと分かたれていることになっている現代の認識から、この時代の宗教模様を仏教、神道と分かって語ることへの違和感あり

 

 なぜ「走り」をするのか?

兜率天の一日は、地上の四百日にあたる。この地上を兜率天、天上の世界に変えるためには、行法を限りなく早く、四百倍のスピードで、行わなければならない。 

 

達陀(だったん)はどのように、なぜに行われるのか?

「連行衆」の内の八人が、(中略)異形の存在、「八天」へと変身していく。「八天」、すなわち、水天、火天、芥子、楊枝、大刀、鈴、錫杖、法螺 である。(中略)それぞれが手にもつ呪物によって二月堂という劇場全体を聖化してゆく。幕が上げられた「内陣」から「礼堂」へと向けて、交互に走り出でては、飛ぶ、走ることと跳躍すること、それが舞台を活気づかせる。その間に、法螺貝が吹かれ、錫杖が突かれ、鈴がかき鳴らされる。身体と楽器が、色彩と音響が、光と闇が、火と水と呪物が、不協和な協和を、協和な不協和を奏でていく。

 

これは、「風姿花伝」に記された「後戸」の外道の阿鼻叫喚を彷彿とさせる。

あるいは、外道の阿鼻叫喚を凌駕する さらなる阿鼻叫喚で外道を封じる「六十六番の物まね」を。

 

修二会の行法全体を通して通奏低音のように響き続ける法螺貝、錫杖、鈴は、修験の法具。

 

猿楽という芸能と修験という宗教は、いずれも、このような、森羅万象すべての差異を際立たせながら一つにむすび合わせてしまう場から生み出されてきたはずである。

 

つまり、「習合」ということですね。これは、『列島祝祭論』のキイワード。

★「習合」以前に、「あれ」と「これ」との別があったという、その発想から自由になること。