『いざなぎ流祭文と儀礼』(斎藤英喜 法蔵館文庫) メモ

序章

いざなぎ流の「祭文」は、職業的な芸人=祭文語りに担われた歌祭文や山伏祭文、説経祭文、デロレン祭文などの近世的な祭文とはまったく異なる世界であったのだ。いざなぎ流の祭文は、太夫が執行する祈祷や神楽のなかで読誦される、まさしく宗教的詞章/儀礼的言語の世界である。 

 

『日本庶民生活史料集成 第17巻・解説』(五来重)より

 従来祭文研究から継子あつかいされていたものに、三河花祭祭文がある。(中略)これは祭文が古代祭文のような純粋な儀式的なものか、近世の歌祭文のように人情をかたる「くずれ祭文」だけに限られていたことによるであろう。しかし日本芸能史としては、この両者をつなぐ中世の祭文にこそ、大きな課題がのこされているといえる。

 

  <中世祭文>の実像とは?

岩田(中国山地の神楽を研究した岩田勝)によって見いだされた神楽の世界は、神々に奉納される芸能といった一般的理解をこえて、さらにダイレクトに神霊たちと交渉していく場としてあった。そこでは祭儀を妨害する悪霊を祓い鎮める力、あるいは神を強制的に勧請する力が、「祭文の読誦」によって実現される。(中略)神々の来歴や祭祀の由来を語る「祭文」は、たんに民俗社会の宗教的コスモロジーの物語的表現ではなく、「司霊者」たちが神を強制し、操作するときの実践的な「武器」でもあったのだ。彼らは祭文のコトバをとおして、神々と交渉し、それを自らの意志どおりに操作していく(←ここが重要)