認識を変える記述のランダムな抜き書き
◆宗教改革
十五世紀には、教会は地域によっては五分の四もの土地を所有しており、貴族をしのぐヨーロッパ最大の地主となっていた。教会の土地を取り上げることをもくろんでいた君主とその支持者は、小作人の間に拡がっていた憤懣を利用した。宗教改革への大衆の支持は、信教の自由と同様に土地への欲求にも依拠していたのだ。
◆新世界進出
帝国や宗教的自由への飢えと同じように、文字通りの飢えはヨーロッパの新世界進出を後押しした。スペインを初めとする、西ヨーロッパでもっとも人口密度が高く、もっとも絶え間なく耕作されている地域が、もっとも積極的に新世界を植民地化した。
人が増える→農地を求めて森林を切り開く→さらに人が増える→農地を求めて急傾斜地の伐採も始める。→地滑りが起きる、土壌浸食が起きる
不在地主経営のプランテーション、アメリカ南部のタバコ・綿花農場、奴隷労働、将来の土壌に責任を持たない現場監督、植民地のモノカルチャー経済……
土壌の回復をまったく考慮せず、土を疲弊させては新たな土を求めて移動していく西部開拓者たち。
南北戦争は奴隷制度をめぐる戦いだったと誰もが教わるが、南部の経済を特徴づけるタバコと綿花のモノカルチャーが、利益をあげるために奴隷労働を必要としたことは習わない。文化的因習というだけでなく、奴隷制度は南部の富を支えるものとして不可欠だったのだ。(中略)奴隷制度は、南部一帯で一般的だった輸出志向の換金作物のモノカルチャーに重要な役割を果たしていたのだ。
その土地に合わせた農業は、細かな配慮と柔軟性を農場経営に持たせるように細心の注意を払うことを必要とする。不在地主、雇われ監督、強制労働にはそれができない。さらに、力によって維持される敵対的な労働体制は、必然的に労働者を一ヵ所に集中させる。単作プランテーション農業はこのように、奴隷労働の法則と機械的手順にちょうど向いていた。同時に、毎年決まりきった単純労働に従事させる場合に、奴隷は最大の利益を生んだ。
奴隷労働には単作農業が必要と言ってもいい。そのため一年の大半、土地は裸のまま放置され、侵食されやすくなる。単作への依存は輪作と厩肥の安定供給源の増加を共に妨げる。タバコか綿花以外に何も栽培されなければ、餌となる穀物や牧草が不足し、家畜を飼うことができないからだ。いったん定着してしまうと、奴隷制度のモノカルチャーを経済的に不可欠なものとした。――そして逆もまた同様であった。南北戦争までの半世紀、南部の農業は奴隷労働に依存した結果、土壌保全策の普及を阻害した。それは土壌の疲弊を保証したも同然だった。
奴隷制と資本主義、植民地主義、われらの今をあらためて考える・・・。
そして、水俣の意味も。
窒素が新興財閥として植民地に進出し、また、水俣に天皇が行幸するということの意味を、あらためて<化学肥料ーアンモニアー火薬>のラインと、<植民地モノカルチャーー奴隷労働>のラインとの交差するところで考え直すこと。
◆ハーバーボッシュ法(これは日本窒素が水俣工場で実験プラントも経ずにすぐに取り入れたアンモニア生成の最新技術)
天然の肥料であるだけでなく、硝酸塩は火薬の製造に不可欠なものだ。二〇世紀初頭には、工業国は国民に食料を、兵器に弾薬を与えるためにますます硝酸塩に頼るようになっていた。
硝酸塩の供給を断つ海上封鎖に弱いことから、ドイツは大気中の窒素を捕える新たな方法を開発しようと相当な労力を費やした。
一九一二年 カール・ボッシュ、最初の商用プラントを建設開始。
第一次大戦後、軍需工場が安価な化学肥料を作りはじめる。
(水俣)
1906年 野口遵(のぐち・したがう, 1873-1944)、曾木電気株式会社創立。
1908年 日本カーバイド商会と合併し、日本窒素肥料を設立。石灰窒素・硫安の製造に成功。
1921年 野口遵、訪欧し、カザレ―法アンモニア合成技術の導入を決める。ニトロセルロース(綿火薬の原料)の製造を手がけ、軍需基幹産業に転換。
アンモニア工場の建設は、第二次世界大戦の前夜に再び本腰を入れてはじめられた。テネシー川流域開発公社(TVA)のダム群が、火薬生産のために新しく建設されるアンモニア工場に格好の立地を提供した。日本がパールハーバーを攻撃したとき、稼働していた工場は一ヵ所だけだった。ベルリン陥落までに10カ所が稼働していた。
(水俣)
1925年に現在の北朝鮮の赴戦江でダム建設、それはTVAのダム開発の規模に勝るとも劣らぬと誇られたものだった。
1927年 朝鮮窒素設立。(以降もダム建設による電源開発は続く)
興南の大コンビナート建設。
戦後、世界中の政府は、突然不要になった軍需工場からのアンモニアの市場を探したり、育成したりした。
火薬から化学肥料へ。
アンモニア生産の99%を越えるハーバーボッシュ法の主要原料は天然ガス。世界のアンモニア生産の80%は、天然ガス由来。(1989年現在)
※つまりは、農作物も石油によって育まれているのだということ。
私たちが耕土をどのように扱うか――地域に順応した生態系としてか、化学物質の倉庫としてか、あるいは有毒物の処分場としてか――は、次世紀の人類の選択肢を決定する。ヨーロッパは、世界の資源を分相応に大きく支配することで、人口増加に間に合うように十分な食料を供給する古代からの苦労から抜け出した。アメリカは西へと拡張することで同じサイクルから逃れた。現在、耕作可能地という基盤が縮小し、安価な石油もつきかえようとしている……
新しい農業の哲学的原理は、土壌を化学システムとしてでなく、地域に適応した生物システムとして扱うことにある。
農業システムのもっとも安価な資材である土壌は、常に軽視される。――手遅れになるまで。したがって、私たちは農業を現実に適合させねばならないのであって、その逆ではない。土地に合わせて形成された人間の慣習や伝統は持続することができるが、その反対は持続できない。