明日は秋篠辺りを歩く。  (予告編)

コロナのせいで、外に出たくてたまらない。

出ようと思えばもちろん出られる。

お上から自粛などを要請されたら、なおさら外に出たくなる。

しかし、見るもの触れるもののすべてが信じられないという、近代の極みのようなこの「不信の病」は、信じることによって生きていくという、生きとし生けるすべての「命」の基本を掘り崩す。

つながること、結ばれることがこそがその本質である命に分断をもたらす「不信」の構造を突き抜けて、越えてゆくこと。

 

不信の世界で幅を利かすのは、力であり、金であり、蔑みであり、憎しみであり、悲しみであり……。

 

信不信を問わず、浄不浄を嫌わず、命は生きるものなのだ、救われるものなのだ、旅するものなのだ、祈るものなのだ、踊るものなのだ、(と、一遍上人のように呟いてみる)

 

ともかくも、明日は秋篠あたりをうろついてみよう。コロナの平日、人はおそらくほとんどいないだろう。

 

『十一面観音巡礼』の「秋篠のあたり」にこうある。

薬師寺の十一面観音についてお聞きしたいというと、自分(高田好胤)にはそういことはわからないからといって、副住職の松久保氏を紹介して下さった。松久保さんは法相宗の著名な学僧である。十一面観音についても、はっきしりした意見を持っておられ、印度に発生した当初から山と水の信仰と結びつき、中国・朝鮮を経て、7世紀ごろ日本に渡来した。薬師寺の十一面の伝来は不明だが、大和の西山には、矢田岳、龍王山などの地名もあり、秋篠川の水の信仰ともおそらく関連がある。大体そのようなお話であった。しばらくぶりで平野に出て、ほっとしていたのに、十一面さんはあくまでも山の仏であり、水の女神なのだ。

 

秋篠川もまた、十一面観音の川筋だという。

 

土地の人々は、秋篠川のことを、サイ川と呼んでおり、境の川、もしくは賽の河原を意味したに違いない。秋篠川から先は別の世界であり、黄泉の国なのだ。 

 

この文章は、現在の奈良市押熊あたりのことを言っているのだが、私がふだん買い物やらなにやらでうろついているあたりでもある。

昭和の末頃はまだここは山村で、開発の手もそれほど入っていなかったというが、今では大通りに郊外店がずらりと並ぶ一帯でもある。

 

秋篠方面に行くには、この今は隠された「黄泉の国」を通っていく。

今までも知らず知らず、秋篠川/サイの川をあっちからこっちへ、こっちからあっちへ、渡っていたのだ。