閑話休題その3。   いつもの道でも、何度も歩いて初めてわかることがある。 

2020年5月1日。メーデーだ。だが、世はSTAY HOME。

STAYと言われて、従順にHOMEにいるのは犬だけだと思っていたが、そうでもないらしい。

いや、もしかしたら「犬だけ」で正しいのかもしれない。思った以上にこの世には尻尾も毛もない「犬」が多かったということなのかもしれない。(ワン!)

 

 

いつも自転車を走らせている富雄川沿い、

家から、湯屋谷(ゆやんたん)を過ぎて、もう少し行けば真言宗真弓山長弓寺というところに、

神武天皇聖蹟 鵄邑顕彰碑」の案内がある。

富雄川沿いに東京から越してきて、もうすぐ10ヵ月。

この案内板はちっとも目に入らないというか、神武天皇などどうでもよかったのだった。

(山伏もそう言っていた)

 

ところが、富雄川の水脈をたどりながら「十一面観音」巡りを始めたとたんに、「登美の小河」富雄川の、「登美/鳥見/鵄」問題に出会い、皇国の「金鵄」の故地としての富雄を知ることになってしまった。

すると、いきなり「神武天皇聖蹟 鵄邑顕彰碑」が思い出される。

いつも通り過ぎていたところへと、わざわざ訪ねてゆく。

今日はそういう日になった。

 

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案内標識のあるところに、ひょいと入って、小高い丘へと登ってゆく小道の途中に、実に立派な石碑が立っている。

 

 

 

 

神武天皇戊午年年十二月皇軍ヲ率ヰテ長髄彦ノ軍ヲ御討伐アラセラレタリ

時二金鵄ノ瑞を得サセ給ヒシ二因リ時人其ノ邑ヲ鵄邑ト號セリ聖蹟ハ此ノ地方ナルベシ 

 

この神武天皇聖蹟は、皇紀2600年に、記紀に記された神武天皇の足跡に関わりのあるさまざまな土地に建てられたものの一つだという。

軍国の時代の神武天皇ブームの中の、一現象。

それに、長弓寺も王龍寺ものまれていったということになろうか。

 

 

ここからさらに竹林の間の小道をのぼってゆく。

 

 

 

ここに祀られているのは、「天忍穂耳命」。

 

生駒市デジタルミュージアムによると、

上町にある神社の一つで、祭神は天忍穂耳命あめのおしほみみのみことです。沿革は不明です。 
9月中旬に上町の氏子によって御供ごく上げがおこなわれます。

こういう場合、きっと、この土地の神の上に、軍国の時代にこの記紀の神が張りつけられたのだろうと、もう反射的に思う。

 

とりあえず、 天忍穂耳命は稲穂の神、農業神だ。

同時に、「まさしく立派に私は勝った、勝利の敏速な霊力のある、高天の原直系の、威圧的な、稲穂の神霊」という意味をその名は持つという。

軍国の時代の、草深い奈良の邑の社に祀るには、ぴったりの神のようにも思われる。

が、推測の域を出る話ではない。

 

 

神武天皇聖蹟をあとに家のほうへと富雄川沿いに戻ってゆく、その途中、いつも見ているはずの路傍の地蔵が、今日はなんだか地蔵に見えない、

近づく、地蔵なのに、頭になにかボコボコついている。

ハッと気がついた。

赤い前掛けをしているからてっきり地蔵と思い込んでいたが、これは、富雄川沿いの寺に必ず祀られている「十一面観音」ではないか?

失礼、と言いつつ、山伏が赤い前掛けを上にあげてみる。

十一面観音だ! と言う。

確かに。手にしるしの花瓶を持っている。

この路傍の十一面観音は、いつ、だれがどのようにして、ここに祀ったのだろうか。

ずいぶんと古いことは間違いない。

ここは、富雄川の王龍寺側のとおりなので、王龍寺と関係があるのだろうか。

 

神武天皇などどうでもよい。

(山伏は神武天皇聖蹟顕彰碑から天忍穂耳神社の間の竹林で立派なタケノコを見つけて掘り出して食料調達、山伏的にはそっちのほうがよほど大事と言うのだった。)

 

そして、タケノコよりも、登美の小河(富雄川)の水脈とともにある十一面観音。

今日は、この路傍の十一面観音と出会い直すための散歩だった。

いつもの道でも、何度も歩いて初めてわかることがある。

本当に知るべきことは、何度も歩かないと、姿を見せてはくれない。