瀬尾夏美『あわいゆくころ』 抜き書き

いわゆる「復興」ではない「はじまり」を語り合うために。

「はじまり」の「場」を開くものとしての「芸能」を感じるために。

 

 

「死んだ人はもうあまり喋らなかったが、時おり歌をうたっていたね」(「みぎわの箱庭」より)

  

2012年12月21日

まちづくりとは、

死者の声に耳を澄ますことなのではないかな。

生き残った人たちは、亡くなった人たちと

一緒に生きているのだと感じる。

まず死者の声を聞くこと。

それを怠ってはいけないと感じました。

 

 2013年8月28日

死者との関係を大切にし続けること。

土着すること、

その土地に暮らし続けることの、

根っこのことのように思う。

 

 2013年12月2日

詩や歌がとても必要なのではないか。

  

2014年2月1日

なくなった景色を見たり、

死んだ人と手を繋いだり、未来と会話したり、

そういう不可能のようなことを、

本気で試みたいと思う。とても正気で。

 

 (これは狂うことですね。狂わなくてはなりませんね)

 

 2014年7月27日

通行止めで誰もいない市街地は、

静かすぎてとても奇妙だった。

ふと、歌が聞こえた気がした。

この土地に染み付いた歌。

 

 2014年12月23日

工事車両が行き交って、

まちの痕跡も山の稜線も

まっすぐに変わってしまった。

ふと、神聖さはどこに行ってしまったのか、

と思う。

 

 2015年1月25日

草木がざわざわと揺れて、

中から生きものたちの声がする。

 

 2015年2月20日

私ではない誰かのことを、想いたい。

 

 

2015年3月19日

生きているということは、

誰かの記憶装置になるということ、そして

蓄えたものを伝える媒体になるということ。

人はお互いにそういう存在なんだと思う。

 

  ――陸前高田市高田森の前地区にあった「五本松」という巨石をめぐって

 2015年5月26日

土曜日、地域のシンボルだった

大きな石のお別れ会

津波で流された部落の中心にあったその石が、

ついに復興工事で埋まる、

津波のあとは地域の人たちが

土地の弔いのためにと、

周りにたくさんの花を植えていた。

花は半年前にすべて抜かれ、

復興工事を待っていた。

 

石の周りを提灯で囲む。

地域の人たちが輪を作って盆踊りをする。

音楽が流れだすとみんな無言で踊りはじめる。

その手つき顔つきが妙に色っぽくて、

この人たちはいま、ここにいない人たちと

ともにいるのだなあと思った。

土地が、あちらとこちらを結ぶ時間。

 

 2015年8月5日

こころはどこにあるのか。

こころは、風景の中にあったのではないか。

 

 (こころは、「場」に宿るものなのではないか。記憶もまた。)

 

2016年2月7日

物語ることが弔いに似ているということ。

 

 (物語るということは祈りにも似ているということ)

 

 2016年2月27日

復興という物語に紛れ込んでやってくる、

大きな力のようなものを、あいまいにしない。

 

2016年5月4日

もうすぐ埋まる巨石の上で、

真新しい神楽を踊る人、雨音と太鼓が響く。

 

 2017年12月5日

語りを聞くということは、同時に、

その隣にあるはずの

語られなかったこと、

どうしても語れなかったことを想う、

ということだ。

 

 2017年3月11日

津波から六年目の日に、

誰かの身体を通して、

その出来事を体験した人たちの

語りや風景が、

別の場所に現れる。

継承する、語り伝えるためのレッスン。

 

 (誰かの声を通して、誰かの踊りを通して、誰かの歌を通して、

   誰かの舞を通して、……、

   大切な物語を受け取り、語り伝える「場」が開かれる。たとえば、芸能の力。)

 

 2017年5月2日

災厄からの立ち上がりの技術。

その後ろには”いまはないもの”を

偲ぶ気持ちやそのための所作がある。

たとえば花を手向けるための

祭壇を作ること。

繰り返される語りから物語を生むこと。

こういった技術の成り立ちこそが、

アートの根源のようにも思う。

 

 (そして芸能の根源。)

 

 七年目 あと語り

 ”新しいまち”に形なきものたちの居場所はあるのだろうか

 

 (そのための「場」を開く声があり、言葉があり、歌があり、

    語りがあるのだろう。そうして「場」を開く者たちがいるのだろう)