黄晳暎『パリデギ 脱北少女の物語』(岩波書店) メモ  

この作品は、ムーダンたちの語る「パリ公主」神話を下敷きにしている。

 

北朝鮮に生まれ、生き難い状況に追い込まれ、家族と生き別れ、豆満江を越え、中国へと脱出し、運命のいたずらのようにして英国へと密航する。

 

北朝鮮脱出後、ついにはすべての家族を亡くしたときから、主人公パリの世界という「問いに満ちた」荒野への旅が始まる。問いを抱えたまま幽冥の境をさまようすべての死者たちの問いへの答えとなる「生命水」を求めて。

 

この物語の副題を「脱北少女の物語」としたのは、ここに書かれているスケールの大きな物語にはそぐわないような感も受けた。

 

物語の終章、

この世とあの世のあわいをゆく舟に乗って、パリはさまざまな死者から問いをぶつけられる。それはパリ自身の問いでもある。

 

「どんな理由で、私たちは苦痛を受けたのか。なぜ私たちはここにいるのか」

もうひとりの黒人のシャーマン、ベッキーの問い。

パリが答える。これは誰かの声をその身におろしての声。

「人々の欲望のためだそうだ。人よりいいものを食べて、いいものを着て、いいものを使って、いい暮らしをしようとして、私たちは苦しめただろ。それで、お前らの船に一緒に乗っていらっしゃる神におかれても苦痛でいらっしゃるそうだ。あの者たちを許せば、この者たちを助けることになるであろう」

 

「どうして悪い奴が世の中で勝利するのか教えてくれ」

ムスリムのウスマンの問い。

パリが答える。

「戦争で勝利した者は誰もいない。この世の正義なんて、いつも半分なのよ」

 

「俺たちの死の意味を言ってみろ!」

おそらく自爆テロで死んだムスリムの男の問い。

パリの答え。

「神の哀しみ。お前たちの絶望のためだ。その方は、絶望と一緒にはいらっしゃれない」

 

「私の死の意味も教えてください」

ブルカをかぶった女人の問い。

パリが答える。

「西洋の奴らとお前の家の男どもが、その顔を覆っている布切れを一緒になってかぶせたのさ。外国の奴はそれを脱がせてこそ開化だと言い、お前の国の奴は家を取りしきってこそ自分を守れると言う。神が最も哀れに思し召す、この世の顔がお前たちだ」

 

「ここにはお前が最も憎む者らが乗っている。私らはいつ解放されるのか」

これはパリが誰より憎むシャンの声。パリの娘を死に至らしめたシャンの。

パリが答える。娘の声で答える。

「私の母が縛られてる。母が憎しみから解き放たれたら、お前らも解放されるだろう」

 

あわいの舟を降りた現実世界はまだ問いに満ちている。物語はロンドンを襲うテロの場面で終わる。

 

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以下、

http://jiyudaigaku.la.coocan.jp/kannkoku/bariteki.htm よりの引用。

 

バリ公主(王女)の両親は、占いの結果を無視して厄年に結婚し、世継ぎの太子を望んでいたが、それとは裏腹に七人の公主が次から次へと生まれ、激怒した父親は末っ子であるバリ公主を捨てるように命じる。
 バリ公主を捨てたため、両親は不治の病にかかるが、捜し出されたバリ公主が、親の命を助けるため西天西域国へ薬水を求めて旅立つことになる。
 途中、様々な苦難が待ち受けているが、釈尊地蔵菩薩弥勒菩薩、神などの加護で、その苦難を乗り越える。最後に、神(弥勒)と結婚し、九年間に息子七人を産み献じ、その見返りとして薬水をもらい、親のところへ帰る。
 そこですでに亡くなっていた両親を甦らせ、その褒美として、バリ公主とその息子たちは、十王またはそれに準ずる神となる。 (金香淑 『朝鮮の口伝神話―バリ公主神話集』 1998和泉書院 p.22~23)
 

 

・死霊祭において巫堂(ムーダン)により唱えられる、バリ公主を主人公とした代表的な巫歌。口伝であるため異本が多い。

 

・バリ公主のバリは「捨てる(バリダ)」という動詞からきている。公主は王女。地方によってはベリテギと呼ばれるが、これは「捨て子」のこと。他に七公主(七番目の娘から)、オグ大王解(父親がオグ大王と呼ばれていたことから)などの呼び名もある。

 

・バリ公主は、両親を甦らせたことから、巫祖の神として死霊を極楽へ連れて行くとされる。