という話を、先日、オンラインで聴いた。
講師は佛教大学の斎藤英喜先生。いざなぎ流の研究者。
見えるものから<見えない世界>を探ると言えば、まずは占いだろう。
そこで、陰陽師が登場する。
「平安朝中期の王朝社会において、天体から発せられる災いのメッセージを読み取り、また時間の流れを計測して暦を作り、あるいは鬼を追い祓う儀礼や呪詛祓え、病気治療などに携わっていた」者としての、陰陽師だ。
当時、見えない世界を管理するのは国家であり、陰陽師の属する陰陽寮がその職務を担っていた。
陰陽師は天体の動きに、天皇一族の運命を見てとって、その対策を講じる。
こんな話を聞いていて、いまさらながら、あらためて、
なるほど、下々が見えざる世界を見ることは、権力にとっては実に危険なことだったのだ、
太古より、下々は見えるものだけを、それも権力者が見せてもよいと思っているものだけを見ていればよろしい、
それが、政治と宗教が結びつく何よりの理由であり、
(政治が宗教を弾圧する何よりの理由でもある)、
というようなことが感覚的に、なんかこうストンと落ちてきたのでした。
そういうわけで、ますます、見えないものがたちあがってくる「語りの場」を開いていかねばなるまいと、思った年末でした。
(なんのこっちゃ)
ただし、いざなぎ流の太夫曰く、
「見えすぎるということは危険なことである。」
「見えているうちはまだ一人前の太夫ではない。」
「見えない世界を見る力をコントロールすることが大事なのである」
つまり、国家以外は、見えない世界にアクセスしてはならぬ、