小野十三郎による谷川雁と黒田喜夫。  森元斎『国道3号線』からの重引

 谷川雁と云えば、すぐ私の頭に浮かぶのは黒田喜夫である。一人は北九州、一人は東北の詩人で、地理的にも対極にあった詩人だが、黒田喜夫にもあったコンミュンのイメージは、谷川君とは、対極とは云えないにしても、ちょっと存在の次元がちがっていた。黒田君は、ある文章のなかで、「農民的現実、なんていったってそんなものはどこにあるんだ、と考える人は、例えばその人が東京に住んでいるのだったら、旅支度をして上野駅から東北線で出発する必要はない。切符自動販売機のハンドルをがチャンと押して電車に乗り、京浜地帯の林立する煙突の下に行けばいい。そこの硫黄やカーバイト臭い空気のなか、鉄骨や溶鉱炉の火の照り返しのなかで、なまりのある言葉がひびき特徴ある顔つき体つきをした人びとが働き、街を歩いている。街の殺風景な家並のなかでは、すすだらけの自在かぎが下がっているいろりの傍からもちこんだ生活習慣をまだ残している多産な嬶衆が住んでいる。その人がもし鋭い前衛的な目をもっているなら、そこには日本的現実の特質が常識としてでなく見える筈だ。重工業地帯にあるかくされた村を、である」と述べている。

 

(中略)

 

農村的現実ということに即して、コンミュンの夢を追うと、黒田君のそれに近いところに行く。九州の村よりも、川崎の重工業地帯である。谷川雁が「村」の想念によってかきおこすコンミュンは、そこをつつぬけたさらに遠くにある。現実からよりもユートピヤからの方が距離が近い。したがって、この詩人がそこに連帯の場を見いだした農村的現実も、そこから生まれるコンミュンの想念も抽象的だ。それは芳香をはなっているけれども土のかおりでもなく、もちろん硫黄やカーバイトのにおいでもない。それだから弱いと私は決して思ってないが、同じコンミュンの夢でも、この二人の詩人の間にはそういうちがいがあると思う。

 

 

 

◆ 参考

 <黒田喜夫「亡びに立つ――土着とは虚構であるか」より>

 

ここで亡びとは、彼らの渇望、夢が彼岸に実現されないことではない。それは夢の持続される基盤の崩壊にかかわることであり、<日本>近代の構造・支配の下での刻苦と不可分ながら――不可分である故にただ夢へと展ばされたところの――自然を侵し自然から侵されるそこでの人の根底の営みが、その構造のいまの極まりのところで奪いつくされたといえる現況にかかわることだ。ただに「農業」とか「第一次産業」とかの亡びのことではなく、彼らの生涯の刻苦は、いま夢によっても報われ得ないということだ。

 

(中略)

 

国家独占――資本直達の下での一切の被害的現われへの痛みにもかかわらず、しかも、われわれにおける土着とは虚構に似たものであったのか――

 

敗戦と土地改革二〇-三〇年にして、国家政策による列島総体の「転がし」のさなかに、がく然として環境自然の全破壊、民族の死、はては食糧危機への恐怖などがおちこんで声を挙げる。――日本農民よ、何とおもいのほか易々と土地も村も売り捨てられるものだな、それとも瑞穂の国における土着とは本当は虚構だったのか、と。

 

黒田喜夫、それは虚構だったと言い切る。村落解体と農民流離の日本近代には、寄生地主制度の下の「共生空間」という幻想に包まれていたのだと黒田喜夫は言う。そこには相喰む生(=幻想の共生空間)があったのだと、土着と流離は相喰̥む生の双面なのだと、そして村は国家という独占体に砕かれて吸収され、ひとつの文化統合系の根底となる生類の営みが死にゆきつつあるのだと。

 

想われる逆攻は、「農業政策」や「都市と農村」等の問題パターンを破って、石牟礼道子のいう「生類」の営みの奪回という根底性をもった戦線の創りだしのほかにはない。その主体は、いま亡びたもの、亡びつつあるものに自らを架け、そこで立とうとするもののほかにはない。