森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』 メモ

<はじめに>から

 

なぜ森崎和江は果てしなく旅をしたのか……。

 

「私はぬきさしならなくなっているだけである。引きかえすすべがなくなっている。」(森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』はじめに より)

 

 

思わず、「あっ」と小さな叫びをあげて、息をのんで、この言葉を読んだ。

 

なぜ森崎和江は旅に出たのか……?

 

 私はいつどのような時代であれ、人は一回きりの生涯を持つものだという素朴な事実を大切に思う。その生涯を、初期プロレタリアートの意識も生まれていなかった頃、地面の下に閉ざし、つぎつぎとそのあとを追った人々の無償な生涯は、いつの時代のどのような輝かしい生涯に比しても、比類なく重い。それは、やはり精神の開拓者の役を果たしているからである。肉体による労働だけを手段として。人間の生存の極限的情況のなかで、人間的に生きることを共同の生活指針としてプロレタリアートの基本的感性を生誕させているからである。

 人々はあげて「国家」を新しい共同概念にせんとしていた近代日本の初期に、村々から個々に追われ、世上のその新思潮と断たれ、それまでの自然観――神々と共存するその農民的精神的自然――から一挙に物質としての自然に直面し、共に在る何ものもなく、八方破れの状態でとにもかくにも或る固有の感性を確立している。

 それはたとえば私のような小市民が、国家の概念を生まれながらに呼吸したり、近代をなにげなく身につけたりした過程とは確実に別種の精神の流れである。それは川筋気質などといわれるもののなかにもこめられているが、実はもっとなまなましく試行錯誤にみちていたことだろう。私の一回きりの生涯の出発点で、はやくもそれは、無言の批判者としてそこに在る。こうして坑夫と二重に自分を感じてしまうことが私を歩かせてしまう。 

 

さらに、森崎和江はこう語る。

地下労働を、生産合理化の故に世界から消滅させる文明に対して、それを人間性信頼の無力ともいえる一点から、壊滅させたい思いにかられる。

 

人間性信頼という、無力な一点、そこを闘いの足場にするということ。

無力であることこそが、抵抗の根拠であるということ。

 

 

森崎和江は「太陽が生活と労働の支柱であった米作りの農民のくに」の、「向日的自然観ともいえる共同の生活習慣」から脱けた地底の労働から、もう一つの歴史観を立ち上げる。

 

それを解説で簾内敬司はこう言う。

 

しかし、最も衝撃的な本書の発見は、じつのところ、日本史をああねく覆い尽くし貫徹して現在に及んでいる稲作史観というものを、そのときとっくにのり超えていたというところにこそあると私は思う。

 

森崎は、炭坑を「巨大な墓」という。「地上の方法では弔いにならない思いが沈殿している」という。(森崎はそれを、「これまでこのくにで経験してきたさまざまな鎮魂の行為」では弔いにならない思いと、言いかえる)

 

地上(稲作共同体)とは異なる死者のありよう、鎮魂のありよう、つまりは神々のありようを語れば、そこには地上が見ることのなかった、もうひとつの世界があり、歴史がり、人間たちの民俗があり、死生観があり、文化があり、共同体がある。

 

森崎はそのことをめぐって、さらにこう言う。

(地上の者たちは)そこには人間の精神にとって先駆的な体験がつまっていることに無知であった。

 

無知であることは、森崎がそう断言した1970年代より半世紀を経て、今もなお変わらない。

 

いま、あらためて、

生身の体による先駆的体験、そこに宿った精神をいまいちど、抵抗の根拠、闘いの起点としてとらえ直すこと。

 

(しかし、生身の体の先駆的体験を語る森崎和江とは、「生ま身の私からこぼれる声は、朝鮮の自然と風物を吸い取った声でした。私は生ま身を殺すことを考えつづけました」と語る者でもあったのである。)

 

生ま身を殺すことを考えつづけて生きる者にとっての、「生ま身」の重さ、厳しさに、ぎりぎりと思いをはせること。

自分自身の「生ま身」を振り返ること、徹底的に振り返ること。

 

しかし、簾内さんの解説はよい、とてもよい。