森崎和江『北上幻想』 メモ

北に向かうのは、そこが荒蝦夷の地だから。と言ってしまうとあまりにざっくりしすぎか。

近代国家がそのよりどころとした建国神話において、きれいに封じ込められた「いのち」の原風景をそこに見たからと言うべきか。

 

北に向かう旅は、森崎和江の長きにわたる「いのちの母国」探しの最終章。

 

森崎和江の詩、ひとつ。

 

 

 

神も見えない無頼ですが

はるばると無量の風

ぬくもるまえに旅立ちながら

 

登録するのはごめんです

リボンも名もいりません

ささ笛 ひとつ

 

しょせんは人間ですが

しょせんはけもののむれですが

ほのほの 笛ひとつ

 

いとしい人よ

生まれておいで

はるばると無量の風の中で

 

 

鐘崎海女をよすがとして、海辺をたどって、いのちへの旅をゆく。

列島の海上の小島で潜水をつづけてきた海女家族らは産穢をもってはいなかった。血のけがれ観をもたぬまま、いのちは潮とともに胎に宿り、潮とともに海の彼方へかえると語った。体内の生理の血、そして産のよろこびの血しおを、地球をめぐる潮とともにしていた。海人族の男たちと。

 

旅の途上、青森の三内丸山で板状の女人土偶を見た。その土偶の、開いた口元から産道へと空気の通路のような一本道を見て、産の途上でいのちを落とした女の化身、うぶめ鳥を想い起こした。死せる子、いのちへの祈りをそこに見いだす。

「国のために産み、国のために死ぬこと」を求める近代国家とその建国神話とは別の「いのちの母国」、「消し合い殺し合うことのない精神の山河」、「生命の平等観とその実現への祈り」を想う。

 

いのちへの祈り。それを盛岡の鬼柳の鬼剣舞にも見いだしたのだった。剣舞の舞い手の背に翻る赤子の衣に胸を衝かれたのだった。

 

森崎和江は、鬼剣舞に、「残雪光る峠から峠へと行きにおおわれていた山道」を想う。

「山々の峠を、口承文化や芸能の名場面」が「雪どけ水が年毎に里にしみ出すように、くりかえしくりかえし往来していた」ことを想い起こす。

 

「文字を手がかりとして知ってきた母国とはすっかり異質の世界」。

かつて峠越えのある村の女性が旅の浄瑠璃語りから聞き覚えた物語を語って聞かせることに、「未知の経路が列島の水路のように流れている」ということを初めて意識した日が森崎和江にはあり、旅回りの一座の舞台での芸能者と村人が作り出す場に触れた日があり、そのときから辿りだした「生きた伝承経路としての列島の陸路」がある。

 

 

そうか、森崎和江の旅は、観念としての国、観念としてのいのちから、観念としての言葉から、徹底的に具体に、徹底的に生身に、徹底的に祈りへと向かってゆくのだな。

その旅は、亡き父が、亡き弟が、亡き友が、「いのちの母国」を探しえぬままこの世を去ったすべての死者たちとともにあるのだな。

 

森崎和江の詩、また一つ

 

歌垣

 

降りつむ雪と響きあう

北東北の山のエロス

いのちの子らが光ります

 

 

森崎さんの語る言葉、詠う詩は、旅を重ねるにつれ、どんどん優しく、わかりやすく、静かに語りかけるかのように、移り変わっていく、(いや、それは余計な観念の言葉が容赦なく削ぎ落されていったということなのである)、そしてそこには「国家」をふみしだく反閇のごとき、強靭な祈りがある。

生きているかぎり、いのちへと向かってゆくかぎり、やめることのできない旅のなかで、けっして揺らぐことのない祈り。それが森崎和江アナキズムなのだとあらためて知る。