四郎の言葉を石牟礼道子の言葉として聞く。
第三章 丘の上の樹
P100
四郎「数というものを追うてゆけば、前にも後ろにも限りがなく、ついには虚空となり申す」
p102
四郎「人を売り買いする船のカピタンも水夫も、みな南蛮経を読む人びとであるのを想いますれば、……(中略)……この世は今もって、大いなる混沌でござりまする」
右近「さっき虚空と言われたが」
四郎「はい。底なしの空ろというべきか」
右近「して、そこから世界は生れ直すと思わるるや」
四郎「万物を生み、滅ぼす仕かけが、そこにあるやもしれませぬ」
右近「ならば、デウス様はいらぬと」
四郎「いえ、世界の秩序を観照するお方がいますゆえんは、そこにあるかと考えておりまする。人はみな、世界の諸相を身に受けて、くるりくるりと反転しておるばかりかもしれませぬ」
第四章 召命
P140
「学問を究むればすべては掌の上と思うており申したが、それでは遠くの星のみ眺めておるようで、おのれを育てし土を知らぬ盲者にござり申す。身近なる人の姿に接して、おのれの無知が恥じられまする。」
◆四郎の持たない「土」の感覚を知る者たちがいる。
たとえば、かよ。たとえば、おうめやん。文字を知らぬ者たちでもある。
おうめやんは言う。
「あたいも宗旨はちがうが、こちらで(切支丹で)言わるる御掟の、汝のボロ……、あの、ボロシモの人さまをわが身のごとくに大切にせよ、ちゅうことは、ちっとなりとも心がけておりやす。このことに、宗旨の違いはござりやせん。それが人の道じゃと。親が教えてくれたゆえ、あたいは言う。人さまをばわが身とおなじに大切に思えとな。」(p121)
あるいは、かよもこう言う。
なあお前さま。デウス様とキリシト様がこの世で一番尊いとは思うけれども、あそこの大樟は別格じゃ。神様かもしれんと思うがなぁ」(p123)
大樟をめぐる村びとの声もある。
(この声は『苦海浄土第二部 神々の村』からも聞こえてくる声。神とはなにものかという問いを潜ませた声)
丘の上のあの大樟の下は、まことによい場所と思う。あそこなら海もひろびろと見えて、死者たちの魂を呼ぶのにふさわしい。そうじゃ、あの樹には、ここら一帯の者たちが幼い頃から登り降りして、ある時は木陰で涼み、昼飯を食べ、ある時は沖の船を眺めて語らいをして来た。死んだ慈悲小屋のじじばば様たちが、海に向いて語ろうておられるまわりに、子どもらがかけ巡っておる眺めは、今思えば天国の景色じゃったぞ」(p122)
四郎は宗教世界の権威にも割り切れぬ思いを抱く。ドミニコ会の出家衆のお働きを日本の信者がロウマの法王に証言した書状をめぐって。
>>殉教をめざして、きびしい迫害のもとで伝道をつづけた伴天連衆に、むろん敬意を抱かぬではない。しかし、彼らの熱誠と功績を、それぞれの門派に従ってロウマに証言せねばならぬ日本の切支丹信徒とは、いったい何なのであろう。命を捧げて信徒を教化していると信じて疑わぬ伴天連衆と、彼らをかくまい讃仰する信徒と、その霊位はいずれが高いのであろうか。