メモ「祭文」について。 (復習)

祭文とは、祈願・祝呪・讃歎の心を神や仏にたてまつる詞章。

そもそもは陰陽道系の呪詞、神・仏・儒のいずれでも用いられた。

 

平安時代中期以降に、信仰とは関連の薄い「祭文」がつくられる。

神事・仏事の俗化とともに、「祭文」も俗化してゆく。

祭文俗化の担い手は山伏。

娯楽本位の「もじり祭文」の登場 → 「歌祭文」へ。

 

祭文 此山伏の所作祭文とていふを聞けば、神道かと思えば仏道、とかく其本拠さだかならず、(中略) 多く誤あれども知らぬが浮世なり。それさへあるを江戸祭文といふは白声(しゃがれ声)にして力見を第一として歌浄瑠璃のせずといふ事なし。かかる事を錫杖にのせるはさても悲し、勿体なし (『人倫訓蒙図彙』七 1690) 

 

元禄期(1688年―1704年)には完全な大道芸。「祭文語り」と称する山伏の格好をした芸人が、江戸時代には盛んに門付けをして各地を回る。錫杖、金杖、法螺貝等を携えて。

 

俗化し、芸能化しても、語りの形式は祭文の型をふむ。

最初に、たとえば、「抑はらひ清めたてまつる」「抑勧請下ろしたてまつる」

末尾に、たとえば、「その身は息災延命諸願成就皆令満足敬って白す」

 

『摂陽奇観』(1818~)には、薩摩派説経祭文と同様、三味線の入った歌祭文が記録されている。

歌祭文の事 生玉の境内賑はしかりし頃は、ここに名代の歌祭文とて葦簀囲ひのうちに床を設け、一人は錫杖をふり一人は三絃を鳴らして祭文を語る。