<被災物「モノ」語り ワークショップ>のご案内

<被災物「モノ」語り ワークショップ>のご案内 
コロナ禍のため、延期。
 
東京・西荻窪 忘日舎にて。
2022年1月22日(土) 午後2時~
案内人 姜信子
オンライン参加:山内明美吉里吉里語を話してくれるはず)
音曲参加:渡部八太夫
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山内明美さんとの往復書簡『忘却の野に春を想う』からスピンアウトしてきた企画です。
気仙沼のリアス・アーク美術館には「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展示があります。
ここには、学芸員が被災地の泥の中から集めてきた「被災物」も展示されています。瓦礫でもゴミでもなく「被災した物=被災物」です。
「被災物」には共に生きてきた人々の記憶が宿っています。
リアスアークの学芸員は、なんと驚いたことに、一つ一つの被災物の記憶をキャプションとしてつけたのです。もちろん、学芸員自身の記憶ではありません。「被災物」が語りかけてくる声を学芸員が聞き取って書きつけた。
これ、学芸員の創作とも言えます。自身も被災者である学芸員が、他者の被災物を前にしたときに、自身の記憶の「モノ」語りがふつふつと生まれ出てきた。美術館の展示としては掟破りです。でも、ここには、知らず知らずあてがわれた型に収められてしまう私たちの記憶の物語とは異なる、個々の記憶の物語が溢れています。
さて、震災の被災者ではない者が、この「被災物」の前に立つとどうなるか?
最初は、震災の記憶に応答しようと思いました。でも、それは至難のことでした。
じっと被災物を見つめてみました。
自身の「モノ」にまつわる記憶がよみがえってきました。封じられていた記憶の蓋が開いたようでした。
どうしたことか、「被災物」を前にした者たちは、次々と自身の記憶の物語を語ったり、歌ったり、踊ったりしはじめたのです。
試行錯誤中のワークショップに参加した大阪在住のある方は、こんなことを言いました。
「私も被災物の写真を見て何が浮かんでくるかを試しました。そうすると、被災物が語りかけてくると同時に自らの記憶が蘇ってくるのです。被災物と自分の記憶が交差した瞬間でした。モノには歴史がある。それを囲む人びとがいる。手がある顔がある。時間と空間の集積がある。当たり前のことですが、そう言うことの気づきでもありました」

なるほど、これが、気仙沼リアス・アーク美術館の「被災物」の物語への応答なのでした。

「被災」「復興」というような大きなくくりの中に配置されてゆく記憶ではなく、個々の暮らしの日々の襞から立ち上がってくるひとりひとりの「モノ」語り。

この「モノ」語りがどこに向かってゆくのかは、いまはまだ確たることは言えないのですが、あなたも試しに「被災物」の前に立ってみませんか?

申込は ↓ のサイトで。

https://mono-gatari-workshop.peatix.com/