入口の大鳥居
気になるのは、この看板。いきなり「国家の安泰…」ですか。牛頭天王総本宮が……。
入口から、骨抜き牛頭天王の気配が漂う。
入口の看板 九星術のことも書かれている。
かつてここにいたのであろう陰陽師の存在が垣間見える。
さあ、石段を登って境内へ。階段上から見下ろす。
姫路の街が見える。
山門から境内を覗く。
本殿前に立つ。
本殿 左手から
中央 正殿
八王子神たちが祀られている右殿の前には、年配の男性がひとり、
椅子に腰を下ろして、一生懸命に、般若心経を繰り返し唱えている。
(神仏混交の風景を、神仏分離で骨抜きされた牛頭天王本宮で、まさか見ることができるとは思わなかった。)
本堂の裏に回る。暦神牛頭天王とある。暦を司った陰陽師、そして御師の影。
本堂裏には、多くの祠がある。
山王権現社 安永6年(1777) 庚申社 寛政4年(1751)
大鬼社 享保20年(1735) 冠者殿社 19世紀初頭
木花咲哉姫等
熊野権現社 慶応4年(1868)
さらに奥へ。荒神社 吉備神社を目指す。
奥へと登ってゆく道の両側は、廃墟。
かつて御師の家の跡。
御師 家守家跡
荒神社 素戔嗚 17世紀前半 吉備神社
常夜燈 どちらも 天保年間
左側 荒神社脇の常夜燈は倒れて壊れたものを直した形跡がある。
蠟燭を立てる部分、笠をのせるところは木枠になっている。
もう一つの常夜燈には、御師たちの名も刻まれている。
御師のことを伝える案内板。
もう人は住んではいないが、建物の残っている御師屋敷跡を見る。
奥の院から降りてきて、境内に戻る。
貞享4年(1687)
広峰を出る。鳥居の裏の文字を見ながら。
牛頭天王は、広峰から神戸を経て京都八坂にゆく。
一夜の宿となった神戸の地が祇園社となった。
ここは、平清盛が大輪田泊を築港するときに、この高台から海を眺めたという場所でもあるらしい。
神戸 祇園社 拝殿
左側に小さく見える石碑は、日清戦争の従軍碑。
御霊信仰
平安時代の末期、第56代清和天皇の御世、京都では疫病が流行って多くの人々が死んだり、雷が落ちたりする災害がよく起こりました。これらの原因は、災害で被害にあったり政治などで失脚した人々の祟りであり、その御霊を鎮める事によってその力を頂くと言う御霊(ごりょう)信仰がはやっていました。
京都白川 東光寺
そこで占いをし、姫路の広峰神社にまつられている素盞嗚尊(すさのおのみこと)がこれらの祟りを治めるのに力があるという事がわかりました。今の京都・八坂神社の前身、京都北白川の東光寺(後に今の八坂の地に移り『祇園感神院』と称した)に素盞嗚尊をおまつりするため、貞観11年(869)のある日、姫路から京都に向けてご分霊をお載せしたお神輿の行列が出発しました。
徳城坊阿闍梨
祇園神社のありますこの平野(ひらの)の地には、当時広峰神社と縁のある姫路の書写山円教寺で修行された徳城坊阿闍梨が住んでおり、その案内で一泊されました。地元の人々はその後もご神徳篤いのを感謝し、祠を作ったのが祇園神社の始まりとされていますので、約1150年余の歴史を持つ神社です。
雪之御所
近くには、福原京の跡と言われる『雪之御所』の碑(湊山小学校内)もあり、また平家の屋敷跡の遺跡『祇園遺跡(解説板のみ)』もあり平家ゆかりの地でもあります。又、この神輿をかいた人々も疲れを癒したでしょうか、有馬温泉と同じ泉質の『天王温泉』『湊山温泉』もあります。