金石範  メモ

 

 

「支配者たちは過去は永遠に消滅したものと考え、またそのようにしてきた。彼らは過去を氷詰めにして永遠に地中に埋もれたものと考えてきた……」byショスタコーヴィチ (金石範『満月の下の赤い海』より)

 

このショスタコーヴィチの言葉を引いて、さらに金石範はこう言う。

 

記憶を失った人間は屍体と同じだといいます。支配者たちは人々の記憶を根こそぎ無くしてしまい、死に限りなく近い忘却へ追いやることで、われわれを記憶のない屍体と同様に取り扱い、そのように作ってきました

 

それに対する、ひとりの作家による、生涯をかけた抗いとして『火山島」がある。

 

金石範は、権力による「偽史」に抗して、文学的想像力による「正史」を現出させたのだと語ったのは誰だったか……。

 

なるほど、と思いつつも、『火山島』を「正史」と呼ぶことには、違和感がある。

記憶を封印するためにある権力による「歴史=大きな物語り」の創作があるとすれば、

金石範『火山島』は人々の記憶を呼び起こし、感情を沸き立たせ、それぞれの「物語」を呼び出す「記憶の依り代」としてそこにあるように思える。

この「物語」が無数の人々の封じられた記憶を解放する。その解放の先に無数の「正史」が立ち現れるのではないか。

物語とはそのようなものとして、人びとのもとにやってくるのではないか。

 

一度この世に送り出された『火山島』は、それを書いた金石範自身にとっても、生の依代、記憶の依り代となり、作家自身が『火山島』の世界を生きはじめているかのような感もある。

 

『火山島』世界の死者たちに突き動かされ、共に生きている作家がそこにはいるようでもある。

 

死者たちともに生きる空間としての文学がそこにはあるようでもある。