ことのはじまりは、クラリネット吹きのワタルさんが、近鉄奈良駅前の噴水の真ん中に立つ行基さんに囁きかけられたことなのです、たぶんね。
そもそもは、「ワタルさんが奈良にやってくるから、みんなでお茶でもしよう」、で始まった話だったんです。
ところが、行基さんがワタルさんに「君たちは私の前でやることがあるんじゃないのかい?」と囁きかけ、ハッとしたワタルさんが、「ぼくら、あの噴水のところで、パレスチナ連帯の意思表示をするのはどうだろうか」と言い、仲間たちがその話にすぐ応じた。
(水の流れるところでは、水は世界をめぐるものだから、ときに<ここ>と遠い<彼方>をつなぐ声が聞こえることがある。これ、ほんとの話。水は命をつなぎ、声をつなぐ。)
実は、ずっとフラッシュモブをやってみたかったんですね、みんな。
ふだんから音楽で遊んでいるからね。
日常の中に紛れ込んで、最初の一音がどこかで鳴って、それにつられて、またどこかで音がなって、あれあれあれという間に、そこが音によって開かれた広場になっていって、たまたまそこを通りかかった、あるいは、そこに居合わせた者たちの出会いの場になる。そんなことを妄想していたんです。
そして、行基のささやき、これが大事だったんですね。
うちらの仲間には修験者がいます。近鉄奈良駅前、行基像のところでは、場所が場所ですから、よく修行僧が托鉢の鉢を持って立っています。つまり、行基さんの前に修験者が立っていても、ちっとも変じゃない。そういうわけで、修験者が最初の音を出す役割を担う者となった。
彼はひとり、いきなり行基さんの前に仁王立ちして、行き交う人びとのほうをまっすぐに見つめて、錫杖を振りながら般若心経を大音声で唱えだした。これが横浜駅前なら、きっと、とてつもない違和感を誘いますね、ところが奈良なら大丈夫、行基さんの前ならなおさら大丈夫、それは日常の中でありうることだから、というわけで、行き交う日本の人々、特に地元の人たちは、あまり気も止めずに通り過ぎる。一方、海外からの観光客がワオ!と喜んで携帯のカメラを向ける。実はそこにあった日常は修験者の大音声でじわじわと揺らぎつつある。じわじわとぬるぬると知らず知らずのうちに非日常的な場が開かれつつある。
これはね、行基さんと修験者の見事な連携プレーです。
そのうち、機を見て、私がするするすると修験者のそばに行き、「殺すな! SAVE GAZA」と書かれたプラカードをそっと立てる。実はそういうことなんだよ、と人々にそっと伝える。人々は既に行基&修験者が開いた場に巻き込まれているから、あとだしプラカードなんかにはもう動じない、気にしない、ちょっと風がふいたくらいのもの。
三度目の般若心経が終わる頃、今度はするするするとクラリネット吹きが現れ、修験者の隣に立つ、おもむろにロマの祈りの曲を吹き始める、あれあれ、気がついたら、アコーディオン弾きも現れた、おやおや、そのあとからギター弾きも……。
よくよく見れば、楽師たちはみんな「stop the genocide」とか「FREE PALESTINE」といったプラカードを背中にぶら下げている、音楽はつづく、「平和に生きる権利」、「鳥の詩」、「アンパンマンマーチ」、ふたたび「平和に生きる権利」に戻って、ほんの一瞬やすんで、最後に弾むようなクレズマーの一曲「いきいきと幸せに」。
胸に響く音楽が流れれば、人々は立ち止まるものなんです。楽師たちはメッセージそのものを声高には叫ぶことはしなかったけれども、そうやって開かれた広場には何らかのメッセージがあることに気づいた人たちが、声をかけてきました、ムスリムが多かった、インドネシアから来たという人は「ありがとう」と言い、一緒にパレスチナの国旗を広げて写真を撮りました。最後に声をかけてきた家族連れは、ガザ出身なのだと言い、やはり「ありがとう」と言いながら、手を差し伸べ、フラッシュモブのメンバーひとりひとりと固く握手をしましたよ。