2024年 百年大芸能祭@大阪・いくのパーク

【百年大芸能祭 前口上】

 

お集まりのみなみなさま 百年大芸能祭にようこそ!

人間も、人間以外のあらゆる命も、ようこそ、ようこそ!

 

さてさて、ほんの百年とちょっと前から、

お金になるかどうか、役に立つかどうかで、命の価値が決められて、

見えない鎖につながれて、血も涙もない数字に縛られて、

あげくのはてにジェノサイド! 

 

しかし、これからの百年は、そうはいかない!

消された命の名前を呼びましょう、

忘れられた命の歌をうたいましょう、

封じられた命の鼓動で踊りましょう、

無数の命を躍って供養、歌って躍って世界を変える、

それが芸能、それが命の本能ではありませんか。

奉一切有為法踊供養也(いっさい ういほう おどりくよう たてまつるなり)

人間だけじゃないよ 鳥も獣も虫も魚も草も木も みんな一緒に

さあ、いくよ、命はびこる新世界!

午前11時、法螺貝が鳴りひびき、「おめでとうございます」の<予祝>の大音声が発せられ、百年チンドン隊が いくのパークを練り歩く。                     祭り/祀りのはじまりを告げる音です。                        そして、百年大芸能祭「前口上」が読み上げられると、アイヌの歌声が流れだす。      藤戸ひろ子さんとミナミナの会がアイヌの歌を歌いながら、大地を素足で踏みしめ、そこに息づく命たちと歌を交わすかのようにして大地を掌で叩く。

<藤戸ひろ子とミナミナの会>
そうして開かれた祭り/祀りの場は、ロックのまつろわぬ轟き、三線の芯の通った響き、さまざまな歌声に満たされてゆく、渦巻く声で、誰かの基準で囲い込まれた日常が揺さぶられてゆく。忘れれた歌を歌い出せば、固体のように凝り固まった世界も震えるのですよ。
<ナーグシク ヨシミツ>
 
<バラッドショット>
その場を踊り/躍り/祈りの輪に変える江州音頭がありまして、この連中、錫杖代わりにマラカス振って音頭を詠みあげるイカした(=イカれた)連中でありまして、         <江州音頭 デレレンズ>

さらにそこに祈りの気配をも漂わせる、異形のおどりねんぶつ、つくもがみの出現……とつづきまして、                                       それは見えない鎖を振りほどく歌であり、躍りでもありまして、             嗚呼、おどりねんぶつと共に現れた<つくもがみ/人間が放り捨てたモノたちの命の結晶>五体が、ねんぶつの低く力強い調べとともに練り歩けば、思わず手を合わせる人びともいて……

<おどりねんぶつ と つくもがみ>やがて、見える命も、見えない命も、人間の命も、鳥獣虫魚草木の命も、すべての命が集う場に、日が落ちゆく頃、
泣かないで、泣かないで、                              またあしたね またあしたね(「蒼い魚」)         七尾旅人の、声そのものが祈りであるような歌声が響き渡り、               それが「このすばらしき世界 七尾旅人版」へとつらなってゆく、
新しい世界への旅立ちを語りかける、声。                        世界が静まりかえりました、                             我に返ったように、見失っていた我を取り戻したように、静まりかえりました。
そして、ふたたび、アイヌの歌でその場に集うすべての命が手を繋いで輪になって躍る。
そうして幸いなる世界への出発を祝ったのでした。
<おしまいのウポポ>

<追記>

この祀りの場には、毎月一回鶴橋本通り商店街でマルシェを開催している「つるのはしマルシェ」の参加があり、そこには手作りの食べ物があり、手作りの雑貨があり、子どもたちによる店もあり、私は子どもショップの10円くじでオモチャの手錠を当てたのでした。子どもたちのスペースでは、紙芝居屋さんが子どもたちをゲラゲラ笑わせてもいたのでした。音楽が流れ、子どもたちが走り回る祭りの場青空ブックマーケットもありました。祭りの場に本があることも、とてもかけがえのないことだとあらためてつくづくと。 そして、レイ・ブラッドベリの「華氏451度」を想い起こしましたのでした。全体主義の暴力の中で、本が焼き捨てられる世界の物語。 抵抗する人びとは、ひとりひとりが本になって、本の言葉を自身の声に乗せて語りだす、そんな物語。この日の祀りの場では、ブックマーケットの傍らの芝生に寝転んで、音楽に包まれながら、ひそやかに声に出して本を読んでいた人がいました。遊ぶな、読むな、語り合うな、考えるな、つながるな、勝手に躍るな、勝手に歌うな、という暴力に抗するささやかな祀り、 来年も!