沖縄・読谷で、金城実さんに会ってきた。
アトリエは「親鸞塾」でもあるのだと、金城さんは言う。
ペットボトルを胴体にして、漆喰とセメントで作られた仏像が並ぶ庭は、「隠れ念佛」の洞窟をイメージして造形されているという。
真宗が禁教とされていた薩摩で、ひそかに真宗門徒たちが隠れ念佛をしていたという洞窟のイメージ。
祖先崇拝を重んじる沖縄の人間である金城さんが、風土の宗教観とは相容れない真宗の「隠れ念佛」を自己表現の核心に据えるに至ったのか。
そこにはさまざまな人との出会いをとおして、つかみとってきた言葉や思想があるのだが、その一つに、家永教科書裁判で問題になった、親鸞の念仏弾圧に抗する言葉がある。天皇をも断罪するその言葉に打たれた金城さんがいる。
主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これに因りて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考えず、みだりがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。この故に禿の字を以て姓とす。」(親鸞『教行信証』後序)
戦時中、宗教は天皇制国家のしもべとなり、愛国忠君を説いた。真宗もその例外ではない。戦後、真宗の中でも問い返しが起きる。宗教と天皇制について、である。
忠良なる皇国臣民であり、志願兵となって南洋で散った父親を持つ金城実は、天皇制について真摯に問う者でもあった。ひとりの問う者として、ある出会いを通して、真宗の中での問い返しに出会い、衝撃を受けた。
「浄土は国家の枠の中しかないのか? ふざけるな! 浄土は国家などより遥かに大きい。国家を超えた世界が浄土なのだ」と。
沖縄で言うところのニライカナイではない。もうひとつの、生きとし生けるすべての存在が生きるに値する世界、浄土。
それを勝ち取るための隠れ念佛。そして、洞窟と化した庭で、隠れ念佛をする石像たち。石像はどんどん増える。
庭の外にも隠れ念仏ははみ出してゆく。
増殖してゆく。
ちびちりガマを訪ねた。海へと流れ込むらしい小さな川が
ガマの周囲には、ガマを荒らした若者たちが、金城さんとの対話の末にみずから作った石像が12個、十二支の数だけ、草木のようにして、草木に溶け込むようにして、静かに立っている。
そういえば、ガジュマルは歩くんだそうだ。枝から地面へと降りてゆく気根が足となって。
解放へのオガリ 大阪から運ばれてきた巨大な解放への叫び。
この像が置かれている敷地には、伊江島の闘いの群像もある。恨の碑の原型の石像もある。物語が渦巻く空間。そこに物語があるならば、物語が生まれいずるならば、「芸術は解放の武器たりうる」
金城実と「恨(ハン)」については、またの機会に。