2925年最後の日。思うことあれこれ。主にガザから見る世界。

2025年も今日で最後。
7月に、ガザの若者たち(ガザチーム)と日本の友人たちと共に、ガザ南部ハーンユニスのマワシ避難キャンプの人々への支援物資配布プロジェクトを立ち上げてから、ガザチームとやり取りをする日々となりました。
世間では、戦争、テロ、飢餓、復興と、状況を語っているようで、状況を目くらましするような大きな言葉が飛び交っています。
【戦争】
圧倒的な戦力で、壁の中に閉じ込めた一般市民に一方的に攻撃を加える、この非対称な状況を「戦争」と呼んでいいんでしょうかね?
1948年から数年にわたって、アカ討伐の名目で、絨毯爆撃ならぬ絨毯虐殺が無辜の島民に対して行なわれた「済州4・3事件」を私は想起します。
2001.9.11以降、逆らうものはすべて「テロリスト」という都合の良い命名がなされ、テロとの戦いが宣言されて以来、植民地主義による侵略と闘う者たちがすべて「テロリスト」になり、侵略者たちが被害者になるという不条理を私たちは目撃してきました。
戦争ビジネスは儲かるからやめられない。困った時は戦争。というのはロシアのチェチェン侵略の際に聞いた言葉。
【テロ】
そういうわけで、典型的な入植者植民地主義により、イスラエル建国以前からパレスチナへと圧倒的な暴力をもって侵出していったシオニストに対する、パレスチナ側からの抵抗を「テロ」と呼んでいいんでしょうかね?
暴力によってパレスチナの民を殺し、追放していったならず者集団が、建国後には国軍となり、その頭領が首相にもなった国家に対する抵抗を「テロ」と呼びますか?
武器もなく、石を投げて闘う者を、いや、そこにただ生きているだけの者を、そこにいるというだけの理由でテロリストと断じて撃ち殺す連中を、テロの被害者と呼びますか?
【飢餓】
2023年10月7日以前から、カロリー計算までして、壁で囲われたガザへの物資搬入を管理して、生かさず殺さずを実践してきたイスラエルによる戦略的飢餓を、何の説明もなくただ「飢餓」の中にあるガザと表現しますか?
イスラエル人道支援物資の搬入を阻止している時も、ガザのスーパーマーケットのガザの外からの商品の仕入れは許可して、それが凄まじい高額で販売されていたことも、私たちはガザの人々との日々のやりとりで知ることができます。
収入の途もないのに生きるためには高額の食料を買わざるを得ない人々が、海外からの支援に頼るほかないことは当然のことで、海外からの送金を妨げる圧力(その筆頭はアメリカですね)のため、ガザを支援する人々は異常なほどに手数料のかかる送金ルートを使わざるを得ない状況も発生しています。
一言でいうと、あらゆる局面で、恥知らずの人でなしたちが、ガザの人々を、そしてガザ支援する人々を金づるにして儲けている状況もあります。(新自由主義あるあるですね)
【復興】
戦争後のガザ復興の話(リゾート開発とか、これまた恥知らずなビジネス案件)が、旧植民地帝国(G7のような)の間で盛んに交わされているようですが、そこにガザの民はいません。「復興」の名で行われる「金儲け」もまた、新自由主義あるあるですね。
イスラエルによるガザの民追放作戦の中には、留学支援組織を騙る団体と結託して、ガザの若者を誘惑して、最低でも1000ドルの手数料で片道切符の海外留学・海外旅行を斡旋するという海外追放作戦もあります。
夢のような海外留学、海外旅行へと誘い込む映像がどれだけガザの若者たちの間に広がっていることか。どれだけ虚しい夢をばらまき、悪夢へと追いやろうとしていることか。
非対称な関係性において、圧倒的力を持つ側は、無力な側に何でもできる、殺しても追放しても咎められない。咎めたところで、なんの効力もない。これも新自由主義あるある。
極悪なこと、恥知らずなことをすれば、(たとえば、権力や富のために命を食いものにすることを厭わず、すすんで、胸を張ってやるようなことですが、そんなことをしても)、まったく儲からない、損をするだけ。ということにでもならない限り、この世界は変わりようがないだろうということを、この半年で骨身に沁みて知りました。
こういう世界では【ジェノサイド】はあたりまえ。邪魔者たちを一掃して、復興ビジネスをする。これが一番儲かりそう。【ジェノサイド】という言葉は、【殺人ビジネス】と言い換えた方がよいかも。
無数の死の上に建設される夢のリゾートで遊ぶなんて、まともな神経があれば到底できそうにないけれど、人間というのはあっという間に忘れますからね。それを恥知らずたちはよーーく知っています。悔しいけれど。
非対称な関係は、限りなく、さらに非対称な関係をその内部に増殖させていきますから、(つまり、限りなく、きっと最後のひとりになるまで食い物になる弱者を探しだすことでしょうから)、最後にはたったひとりの強者だけが生き残るだけになるのではないだろうか。そうして世界は消えるのだろうという愉快な想像をしている年末です。
と、まるで部外者のように書きましたが、恥しらずな連中が仕切るこの世界に対して、自分の生きているこの場所で、自分のできる形で抗っていかないかぎり、私もまた新自由主義あるあるの、口先批判、実質追従、恥知らず組のひとりでしかありません。
2026年もきっと、ひそかに、いろいろやります。
ひそかな抵抗の増殖を試みます。
みなさん、よい年を!