2月20日 七藝 チンドン&トーク
<よみがえる声をもっとよみがえらせるために>
【入場】法螺貝、鳴りひびく!
おめでとうございます!
毎日映画コンクール ドキュメンタリー部門受賞
おめでとうございます!
数々の国際映画祭での受賞、
おめでとうございます!
<ええじゃないか!> 始まる (客席後部から、ステージ前へ)。
ええじゃないか、ええじゃないか、ええじゃないか、
よみがえる声 ええじゃないか、
声をつないで ええじゃないか、
記憶をつないで ええじゃないか
みんなでつないで ええじゃないか
【前口上】百年芸能祭ちんどん隊、参上! アリランがバックに流れている。
私たちは関東大震災を契機に、「この百年の無数の理不尽な死者たちの鎮魂し、そんなことのない新しい百年へと向かう場を芸能の力で開こう」ということで立ちあげられた「百年芸能祭」から生まれたちんどん隊です。
そして私、姜信子は、共同監督の朴麻衣さんとは40年来の知り合いでありまして、私も麻衣さんも自身のアイデンティティをめぐる問いを抱えていた若き頃に出遭い、その後、それぞれにその答えを出していく旅をつづけて、いままた、この映画のおかげで20年ぶりに再会したのでした。
さて、この映画『よみがえる声』!
これは、朴壽南、朴麻衣の「植民地主義」「家父長制/女性差別」、「民族差別」との闘いの記録です。
この非対称世界を創り出し、非対称であることにより利益を得る者たちへの石つぶてであり、奪われる側、踏まれる側、殺される側に生きる者たちに注ぐ深い愛の記録でもありましょう。
そして、
母・朴壽南が聞き取ってきた声を、この映画の制作を通して、娘・朴麻衣があらためて受け取りなおし、対話をすることによってよみがえる声の風景が、外に向かって、映画を観る者たちに向かって、さらに大きく開かれていくという経験を私たちはするわけです。
対話は二人でするものではなく、第三の対話者がいることにより開かれる。
その第三の対話者が映画を観る私たちなんですね。
そうして、わたしたち、彼女たちの闘いに触れたひとりひとりが、この非対称の世界で行われる「声」殺し、「記憶」殺しに、みずからの声、みずからの歌で抗することへと誘われていくわけです。怖い映画ですよ、この映画。
百年芸能祭チンドン隊は、今日はこの場で、声をつなぎ、記憶をつないでみようと思っています。「よみがえる声をもっとよみがえらせる」試みの最初の一歩として。
この試みは、私と朴麻衣が語らう中で生まれたものです。
「天然の美」 演奏はじまる
私をかつて遠い旅に誘い出したこの曲、チンドンの定番、中央アジアのアリラン!
さてさて、
近代日本の朝鮮侵出以来、土地を奪われた朝鮮の農民の多くが流民となって、朝鮮をあとにするようになります。
朝鮮半島の北側の人々の多くは、満洲、ロシア極東へ、
もともと朝鮮半島北部は飢饉も多く生きづらい場所であったので、記録によれば、19世紀より北への流転は始まっています。
そして、南側の人々の多くは、日本へ。
1937年、ロシア極東へと流れて、定着していた20万人もの朝鮮人がソ連により、モノのように貨車で運ばれ、追放されていきました。日本の植民地の民であるという理由で。そして、その記憶はソ連崩壊まで、語られることはなかった。
朝鮮人の独立運動に神経を尖らせて諜報活動に熱心だった日本当局が、1937年にソ連の極東地帯から朝鮮人が消えたことを知らぬはずもないとも思うのですが、それについて触れた日本側の記録は目にしたことはありません。
この「美しき天然」のメロディは、その封じられた記憶を伝えるものなのです。
このことを私が知ったきっかけは、ウズベキスタンの農村で「美しき天然」が朝鮮の言葉で歌われている映像をある偶然から観たことです。彼らは、「故国の山河を離れ、数千里……」と朝鮮の言葉で歌っていたのです。
日本から植民地朝鮮へ、そして朝鮮半島から流民と共に旅をして、遂には一緒に中央アジアまで追放されていったこの歌が、「ここに封じられた記憶がある」と教えたんです。
さて、この追放の17年前に、満洲の間島、朝鮮人集住地で大虐殺が起こっています。
間島というのは、いまの中国東北地方吉林省延吉にありました。
ここは韓国人も日本人も大好きな詩人尹東柱の生まれ育ったところでもあります。
間島は朝鮮とロシア極東とを結ぶ交通の要地であり、独立運動の拠点でもありました。
間島には、ロシア極東の朝鮮人たちによって社会主義も持ち込まれています。
ここで、20年10月末から12月までの1ヵ月以上のあいだに約3千人の朝鮮人が虐殺された。
「不逞鮮人」狩りです。
このとき「不逞鮮人」殺しを経験した日本軍兵士が、1923年の日本では在郷軍人として自警団の中心となっています。
関東大震災直後の朝鮮人虐殺。
この国のヘイトクライムのはじまりの風景には、日本による植民地支配に抵抗する者たちが活動していた満洲、ロシア極東の闘いの風景が潜んでいるのです。
しかし、1923年の虐殺をした者たちは、1920年の虐殺についても、それ以前の日清日露での虐殺についても一切語りませんね。それは語るほどのことではないんですね。いま、イスラエル軍兵士が、虫か獣を殺すようにパレスチナ人を殺しているように。
非対称世界では、抵抗する者は、「不逞」、「テロリスト」と名づけられます。
その声も、記憶も、命も、消されるべき者として。
今では「在日コリアン」と呼ばれている私たちは、この社会では今も昔も一貫して「不逞鮮人」です。歴史も記憶もきれいに浄化した「在日コリアン」という言葉の芯には「不逞鮮人」という言葉が潜んでいます。
そうです、闘うわれらは「不逞鮮人」ですよ。上等じゃないですか。
私は「不逞鮮人」です。朴壽南、朴麻衣両監督も、誇るべき「不逞鮮人」ですね。
この「不逞」という言葉、あるいは「テロリスト」という言葉は、皆さんご存知のように植民地主義蔓延る世界では、とても役に立つ言葉なんですね。もちろん、植民地の主人たちにとっての話です。
あと、もうひとつ、この言葉も忘れてはいけない。
「役立たず」。
資本主義と深い仲にある植民地主義では、これもまた最重要単語の一つですね。
近代日本により、とことん「役立たず」とされた、ある朝鮮人女性の詩を紹介します。
近代日本で、役立たずとされ、日の丸のシミ 座敷豚と呼ばれ療養所という名の収容所に強制的に入所させられた<ハンセン病者>であり、<不逞鮮人>であった香山末子(金末壬)の詩「青いめがね」を、祭文語り八太夫の語りで。
「青いめがね」
二十歳から日本に来て
今年七十二になって
その間一度も古里韓国には行かない
山も野原も田んぼも
目いっぱいに溢れるようだ
秋には
夕やけ小やけ赤トンボ
歌って表に出ると
隣りの娘も
その隣りの娘も
みんな出て来て歌ってた
稲の穂先にとまった
赤トンボにイナゴたち
トンボの目は大きくて青い
めがねをかけたくるくる目だったな
韓国に残る田舎の風景が
夕やけ空小やけ空で映えている
香山末子は、戦後すぐの頃にはもうハンセン病で失明し、療養所内の詩の指導者の勧めで口述筆記による詩作を始めた人です。そもそも日本語は彼女が自由自在に操れる言語でもなかったのですが。
その日本語で、帰れぬ朝鮮の故郷の村の風景を香山末子は歌います。
しかし、その風景のイメージには、日本の唱歌「夕焼け小焼け」「とんぼのめがね」のイメージが色濃く染みこんでいます。
詩の中の夕焼け小焼けの風景の中で、朝鮮の女たちが歌っていたのはどんな歌だっただろうか。とんぼは青いめがねでとんでいたのだろうか。詩で歌われる朝鮮の農村の風景には、日本の農村の風景が知らず知らず溶け込んでいる。胸を衝かれる詩です、これは。
ここには、いまだ語られえぬ香山末子の「沈黙」がある。
声を封じられてきた人々が声を上げたとしても、記憶を語りだしたとしても、
その芯のところには、「沈黙」がある。
この「沈黙」、無数の「沈黙」。私たちは「沈黙」にまで想いを馳せることなくして、記憶をつないでいくことはできないのではないか。
朴壽南さんの言葉をここで読みます。(「鳳仙花」のメロディ、流れはじめる)
「私は『鳳仙花』を歌うたびに、関東大震災で虐殺された多くの朝鮮人をたちを思いだします。『鳳仙花』の花は、関東大震災のときに虐殺された私たちの「兄」であり、「弟」であり、「父」や「家族」だったのです。「家族」があのように殺されました。鳳仙花は愛らしくてとっても美しい花です。私は顔も名前も知らない当時虐殺された多くの人たちを、鳳仙花だと思いました」
鎮魂の時間を最後に持ちたいと思います。
20世紀に植民地化されたのは朝鮮半島とパレスチナだとエドワード・サイードは言います。1948年にイスラエルは成立し、朝鮮半島は分断された。 いずれも植民地主義の賜物です。
そして、いまのガザの状況に、私は私の祖父母たち、在日の一世たちが経験した苛烈な植民地の経験を見る思いがしています。彼らが語らなかった記憶を、そこに観るのです。
いま、植民地主義の究極の世界に生きて、ガザを思いつつ。この百年理不尽な死を遂げた無数の命を思いつつ。映画『よみがえる声』のうちの亡くなった方々の顔と名前を思い浮かべつつ、みなさんひとりひとりの心の中の鎮魂すべき死者たちの名前を呼びつつ。
さて、鎮魂の次は予祝です!
わたしたちはこれから「よみがえる声」をもっとよみがえらせていきます。
映画を自主上映会の形でどんどん広げて、声をつなぐ場を作っていこうと。
自主上映とかに慣れていない人、大きな上映会ではなく仲間と小さな上映会をしてみたいという人たちのために、「小さな自主上映会」用のパッケージを作ろうと朴麻衣さんと話し合いました。
われこそはという方、どうぞ朴麻衣さんに連絡してください。
記憶をつないで、新しい100年を開いてゆく!
おめでとうございます! 新しい100年がやってきます!
ホロコーストで消滅させられ東欧ユダヤ人の伝統的音楽クレズマーから、
「生き生きと幸せに」を奏でつつ、退場!
※クレズマーとはかつて東欧のユダヤ人たちの間で歌われていたもので、東欧からホロコーストでユダヤ人が消されていったときに、一緒にクレズマーも東欧から消えてゆきました。
ホロコースト以前、アメリカに渡った楽師たちによってクレズマーという音楽文化は継承され、ニューヨークのユダヤ人コミュニティの中でも冠婚葬祭に必須の音楽として演奏されていたものです。
現在、クレズマーの本拠地はニューヨークです。
このクレズマーのある風景は、映画「屋根の上のバイオリン弾き」等で観ることもできます。
シャガールの絵にも描かれています。
クレズマーは消滅させられた東欧ユダヤ人の暮らしに密着した音楽文化でした。
マイムマイムのようなイスラエル生まれの歌とは異なり、シオニズムから生まれた音楽ではありません。