『キム・へスンの言葉』 母の死、残された月 P91 ~104 粗々訳

母の死、残された月

 

「死とは、私たちが人生の中で限りなく経験していかなければならぬことであり、限りなく打ち勝たねばならぬことであり、生きわずらうことなのです」

 

 

ファン・インチャン

話をもう少し広げていきましょう。あるいは、より狭めるとも言えるかもしれません。先生の詩集『地球が死んだら月は誰を回るの?』は、母の死がその中心に置かれています。振り返れば、先生の詩においては最も初期の作品である「兜率歌」から既に「死せる母」が登場しますが、今回の詩集はそれとは違う脈絡にあるとも言えそうです。

 

キム・ヘスン

 2019年にオンマが逝きました。それ以来、いまでも私は眠りから目覚めると、オンマが過ごしていたホスピス病棟の階段を忙しくあがってゆく私自身を見ているのです。 『地球が死んだら月は誰を回るの?』の1部と3部は2019年、オンマが亡くなった年に書いていた詩です。私はオンマが病床にあったとき、オンマが亡くなる頃、そしてオンマの家を整理していた時期に至るまで、それらの詩を書いていました。そして、ほとんど読み返さずにいたそれらの詩を2022年にひっぱりだして、詩集として編んだのです。 1部には死の周囲をぐるぐるとまわっていたオンマと私のさまざまな出来事が書かれており、2部は災難の時代と封鎖の時代を、3部には死という事件を経てからの約束の地、カナンではなく今この瞬間という砂漠にたどりついたオンマと私の姿が書かれています。 1部では悲嘆の中に深く入ってみようとしました。3部では、時間でもなく場所でもない、何もまとわず剥き出しの姿で、砂漠をさまよう、人間が消えた場所、私が寝起きしていたかと思うともうすでに私がいない場所、つねに私の外部でありながら、私の今である場所、私に名を与えアイデンティティを与えてこそ脱け出すことのできる砂漠を描こうとしました。私の外部、私が一歩踏み出せばたどりつく、永遠にとどまることができない、生から離れることによってむしろ行きつく、死のような、なのに今現在の生という核でいっぱいの、私の人生の始まりからすでに存在していた、裸の、しかし砂のカウンセリングルームのように模型がいっぱいの、「私」が「私」を 眺めるように、消えた万物と消えた万物が互いにひそやかに見つめ合う砂漠に行き、私の娘である、私の後世、カウンセラーFからカウンセリングを受けようとしました。

 

私は『翼の幻想痛』を経て、私の両親が相次いで病床に就いて亡くなっていった日々の悲しみを書きました。オンマの葬儀場で、ある小説家が私に言いました。「先生のお母さんが亡くなって、今度は先生はお母さんの死を書くのでしょうね」。その後、私の詩の朗読会で、ある読者が私に言いました。「年老いた女性が悲しむ様子は醜いです」。私は朗読会で、年老いた女性を差別し白眼視する読者の言葉に反駁しましたが、オンマの死の周囲をぐるぐると回って心ゆくまで醜くなりました。私はこれらの詩を書きつつ、砂漠の雲のように耳が薄くなりました。砂漠の空のように私の鼓膜は大きくなりました。死者の飢えた耳のように、です。これらの詩を書くとき、悲しみは私に沈黙を求めもしましたが、証言を求めもしました。悲しみは、祈りよりも価値ある詩人の仕事だという思いに駆られもしました。ただ悲しみだけが苦痛の中にある存在との連帯であり、その苦痛に関わることなのだと思いもました。この時期の私にとって詩人とは、死へと踏み入って死を嘆く者でした。

 

また、詩を書くことで、書く行為それ自体が、私をこの悲しみの外へと向かわせました。このような私の考えを、詩の悲嘆によって開かれる一種の詩的展望と呼べるなら、とも思いました。とはいえ、悲しみの外に出てみれば、なんにもない不毛の砂漠、私の中で私が私を見る場所がありました。砂漠は、私たちが書き捨てた時間が向かうところ、死者たちが行く場所、しかし永遠に現在の場所、すべての事物が剥き出しの場所、権力と真理とすべての聖なる言葉が不在の場所です。しかし、永遠に意見を言わぬ台風の中のあの木々のように、あるいは与えられたアイデンティティと名前をすべて剥ぎ取った私の体のように中立、中間の場所です。 文学とは、この空っぽの砂漠、その猛烈でありながら無関心でもあるな中立性がおのれに近づいてきた瞬間の体験を形象化したものだと私は思っています。 にもかかわらず、これを書きつづけることは、むしろ死の能力を失わせることだと思うのです。

 

死とは、私たちが生の中で限りなく経験していかなければならぬことであり、かぎりなく打ち勝たねばならぬことであり、生きわずらうことなのです。 私の生と完璧に重なっている砂としての生にぴたりとくっついたままで。 この生を生きわずらうことをとおして、詩は人間存在を他の場所に、より良い場所に導きます。これらの詩は、肉親の病いと死というレンズをとおして、世界中に溢れかえる死を眺めやり、その一つ一つの死にどれほど大きな悲しみが潜んでいるのか、この悲しみを背負った地球が果たしてどこに向かっているのか、砂のような私たちの命と時間と日々が忘却の砂漠で何をしているのかを見つめる詩なのだと言ってみようと思います。あるいは、生と時間の復讐を受け入れて、根源へと向かう者の悲鳴とでも言いましょうか。 死ぬ日まで彷徨うよう運命を背負わされた、根源を侵犯した者の訴えとでも言いましょうか。こうして『死の自叙伝』を経て『翼の幻想痛』『地球が死んだら月は誰を回るの?』に至る死の三部作が生まれました。

 

ファン詩人が言われた「兜率歌」は、私を育てた母方の祖母の死後を書いたのです。 私の夢の中におばあちゃんが現れて、しきりに自分の持ち物を大切に取っておいてほしいと言ったんです。 この詩でも母はおばあちゃんのことです。オンマが亡くなってからは、おばあちゃんをおばあちゃんと呼ぶようになったのは、オンマが亡くなってからのことです。 私が小学生の頃、私の母親はおばあちゃんだったのです。なるほど、私は詩人として登壇したときから「死」の周囲をぐるぐる回りながら詩を書いていたのですね。

 

 

ファン・インチャン

限りなく無意味な領域である死を明らかにすることであり、同時に詩と対峙することが文学であるという意味で先生の言葉を理解しました。 死よりも個人的で私的な事件はないでしょうが、だからこそ私たちは自分の死を思惟し、他者の生をなんとか理解することができるのでしょう。 

私はその意味で先生にもう少し個人的な領域について質問をしたいと思います。 先生の詩に登場する母親のイメージは、ある種の古い詩が固守してきた「母性」イメージとは異なる階層にあります。もしかして、これは、先生が持っている個人的な母親のイメージと関連しているのではないかと思うのです。先生がご記憶の母親とは、どのような方だったのでしょうか?

 

 

キム・ヘスン

私のオンマは小学校の先生を長くしていました。 だから初めての子供である私を外祖母(おばあちゃん)に預けました。 おばあちゃんとおじいちゃんにとって、私の母が唯一の子供だったので、孫である私を育てる心積もりはできていました。 それで、おばあちゃんが私の養育者になったのです。 私はお母さんをいつも恋しがっていました。 私の隣で眠っているおばあちゃんとおじいちゃんを憎たらしい目つきで見た記憶がとてもたくさ残っています。そんなふうに気づかれないよう心の中で恋しく思っていたオンマが自分の実家を訪れて、私の名前を呼ぶと、私はそのまま気絶してしまったとおばあちゃんから聞いています。その頃から私の気絶が始まったんですよね。

私が両親と弟とみんなで暮らすようになったとき、お母さんは友達のようになりました。 オンマに大きな娘がやってきたのではなく、友達がやってきたのです。オンマは乱暴な言葉づかいをしたり怒ったりしたことが一度もなかったんですよね。 母性イデオロギーに忠実であろうとしてそのように穏やかだったというよりは、監理教人として、神様の尊い幼い娘と自分を考えていつも少女のような面がありました。それで次第に友達のようになったんです。 私はときには「オンマは本当のお母さんではないんだわ。他のお母さんたちと違うし」と思いました。そんなふうだったのが、父が亡くなってからはオンマは私の娘になりました。完全に役割が替わりました。オンマはミッションスクールの高校に通っていたのですが、その当時、背が高くてバレーボール選手になったと聞いています。オンマはいつもテレビのスポーツチャンネルだけを観ていました。種目を選ばずに。オリンピックや国際競技が好きで、おばあちゃんになってもサッカーの試合を観に行き、近くの総合大学のサッカー場に行くのも好きでした。サッカー選手の口汚い言葉や呻き声、叫びがグラウンドから観客席に聞こえてくるのを楽しんでいました。私がテレビを観ているオンマの隣に座ると、競技ルールや選手たちの名前と特技、身体条件などを教えてくれました。しかし、私は運動音痴でしたね。そして、病弱な子供で、いつも体育時間には同級生が運動するのを見ている階段が私の席でした。オンマは私の人生で初めての恋人で、やがて友達になり、ついには子供になったんです。私がオンマを詩に書くとき、オンマをファンタジーとして書きはしませんでした。比喩でもシンボルとしても書いていません。ただ「オンマ」でした。母性という制度の中のオンマというより、親密で哀れな存在、私の過去だったのが、いまは私の未来となった存在、死という場所があるなら、一緒にその外まで出てみたい存在と考えていました。

 

 

ファン・インチャン

『地球が死んだら月は誰を回るの?』に収録された「空き家のアボカド」は、母親の死後に残されたことについて感覚し、その死を再び経験する詩です。この詩は死という無に戻ることですが、死後も物はまだ世の中に残るということ、ところが、死と共にある物は一緒に死にもするという点を示しています。詩集の題目の中で「月は誰を回るの?」は、そのように残されてしまった、死んでも生きてもいないある事物の苦境を描いているのではないかと思います。死後について、死後に残る物について、先生には考えることがありはしないかと思います。これについてお尋ねしたいです。

 

 

キム・ヘスン

「空き家のアボカド」では「触れる」という感覚が詩を導いていきます。この詩の話者「あなた」は死者です。その死者が自分の家に久しぶりに戻って、廃棄される前、あるいは廃棄される瞬間の、自分の家の物である事物に触れてみる記録です。触れるという触覚的な体験は、「見る」という視覚的体験よりも肉体的でエロティックです。触れられる事物が触れる人の体にくっつくような奇妙な経験をすることもありますよね。この詩で死者は、自分の家で事物性と感覚性の交流を試みます。触れる行為と触れられる事物を重ね合わせます。一生涯の最後に切なく触れるのですね。事物は誰も待っていなかったと言うこともできるでしょう。しかし、これらの事物は、死者が生者であった頃に、その人を立たせ、座らせ、横たわせた物たちです。しかし、死者が触れる瞬間、これらの物は、他の生きている人々によって廃棄されます。すでに使った物であるからとゴミにされます(おお! 世界中のゴミよ、団結せよ!)。この家の事物は単なる事物ではありません。何十年もの間、死者が見て触れることによって、甚だしくは物性を脱却した、それ自体が生きている、それ自体の「震え」を秘めた、甚だしくはあらゆる形に変奏することができる事物たちでした。この家は今、死者の訪問を受け、久しぶりに全体的に震えています。事物は体をぎゅっと縮めて、死者の手が触れるたびに外に広がってゆく最大限の遠心力で震えを放出します。流れて、広がり、震えながらすすり泣きます。甚だしくは、レコーダーがおのずとスイッチが入って死者の声を大放出ですよ。だけどすぐに遺品整理士がやってきます。彼らは死者と事物の触覚的なエロティシズムを余すところなく破壊しながら、その物の用途に応じた分類をドライに進めていきます。詩はこのように、事物の震え、その迷宮をイメージとエネルギーで表現するジャンルです。詩人の感覚で、です。この詩はすぐに死ぬことになる事物の肌と死者の手を追ってゆきますが、これらの最後の出会い、そのあとから「整理」という捕食者が凶暴に追ってきます。この詩は私の経験をそのまま書いたものです。私はオンマの家に行き、オンマの家の物を整理しました。オンマの物はみん用途にしたがって分類されました。オンマの物たちはすべて、オンマの感覚を持ったまま私の手の下で震えていました。私の体がオンマの事物の中に、事物がオンマの震えを大切に抱え込んだまま私の中へと食いこんできました。私たちは巨大な可触性可觸性という宇宙の中でむやみに震えて別れました。その日以来、本当に長い間病みました。オンマの体があの物たちの中に移っていき、私の手に乗って消えてしまいました。オンマおの物たちは「見えること」すらない存在になってしまいました。詩を引用すると、次のようになります。

 

「空き家のアボカド」

 遺品整理士たちが来る前にもう一度行かねばならない。一年の間、一度も開かれることのなかった、あなたの家が緊張する。あなたの家はいまでは外からだけ開かれる家。あなたはあなたの経帷子に触れてみる。バザーの人たちが来る前にあなたはあなたの器たちを撫でさする。「植木鉢だけを持っていくはず、花は持って行かないわよ」、花屋の人たちが何か言う前に「植木鉢の花はみんな抜いてゴミ袋に入れてね」、あの人たちが何か言う前に。あなたはあなたの布団を撫でさする。あなたはあなたの洋服だんすの中をくまなく見る。遺品整理士たちの袋が口を開ける前に。あなたはあなたの下着、ブラジャー、コルセット、ストッキング、パンティストッキング、ガードル、寝間着に触れる。リサイクルセンターが来る前に、「写真は破って、額縁はリサイクル」と言う前に。あなたは写真の額をぐるりと手探る。あなたは手すりに手を添えて階段を降りてゆく。階段を降りたら階段が消える。あなたが育てたものなのに。あなたが好きだったものなのに。あなたが大切にしていたものなのに。あなたが作ったものなのに。テープをカセットプレーヤーに差し込むとあなたの声が聞こえる。あなたの最後の授業だ。あなたは天気からはじめる。今日は雲も天高く、空は澄んでいると言う。あなたは窓の外を見やる。雲は天高く、空は澄んでいる。あなたが言っていたまさにあの日。それからあなたの声が鍋の蓋みたいに裏返る。あなたは初めて聞く妖怪語で話している。声が渦巻きのように螺旋を描く。あなたはあなたの言葉を聞き取れない。そのうち部屋の扉を開けて、患者服を着たおばあさんがひとり、現れる。人間じゃないと思う。そのおばあさんの手首のリストバンドにはあなたの名前が書かれている。洗濯機の蓋を開けると、不意に津波が迫ってくる。数珠のついた黒衣が溢れでる。巨大な葬儀がはじまる。壁から水が湧きだして、弔問客の靴という靴がプカプカ浮かぶ。遺品整理士がその靴を袋に詰める。あなたが五十年ものの醤油だというと、遺品整理士たちは醤油を壜に入れる。「いい値段になりそう」、捨てない。なのに、植木鉢の土を払うように、あなたの仕草を捨てる。あなたの笑いを捨てる。涙に滲んだ川を運び出す。涙に滲んだ海を運び出す。あなたが捨てられなかったあなたまでをも捨てる。捨てる。捨てる。捨てる。捨てる。枕を捨てる。枕に置かれていた黄金の鍵を捨てる。鍋を捨てる。釜を捨てる。匙を捨てる。包丁を捨てる。アイロンを捨てる。あなたはあなたのハンカチを見つけて涙をぬぐう。流し台の蛇口を回せばあなたの指が溢れでる。セシュームが降り注いでいるわけでもなし、ただ死んだだけなのに、こんな目に遭うなんて。植木鉢からあなたをスッと抜いてゴミ箱に放る。「オルガンはどうしましょうか? ミシンは?」あなたの教職生活は博物館に行くことになる。オルガンが胸倉をつかまれて出ていくときにあなたを振り返る。あの人たちが突然あなたに命令する。「レコーダーを切りなさい」。あなたの夏のスカートがあなたの顔にひらりとまとわりつく。あの人たちはあなたを分類する。生活史博物館に行くあなたと、リサイクルセンターに行くあなた。バザーに出されるあなた、ゴミになるあなた。流しにぶちまけられるあなた、燃やされるあなた。破かれるあなた。奪われるあなた。埋められるあなた。与えられるあなた。片付けられるあなた。捨てられるあなた。椅子のように重ねられるあなた。寝室4、居室1,キッチン1,お手洗い2,部屋の角が56個、ぞうきんを握ったあなたの手が触れる56の角、沈黙する角、気になる角、口を尖らせる角、恥ずかしがる角、あなたにどこに行くの?と尋ねる角。あなたは今ではあなたの家の56か所の角を目を閉じて全部確かめないと眠れない。あなたはあなたのベッドを確かめる。冷蔵庫を確かめる。食卓を確かめる。あなたはこの家のすべてを確かめるとやっとのことで眠りにつける。あなたはこの家の家具中毒者だ。大きな四角の中に、小さな四角が7個。小さな四角の中に数画の泣き声。フィラメントのようにかすかに震えるまつげ。平和を! 平和を! 祈りの声。死ぬときも逝く前にしっかり縛って包んでおく秘密の手紙なのに、あの人たちに明かされる数枚の紙。さあ、ここを発つの! 紙の船に乗って北に向けて発つの! あの人たちはあなたの舌を風呂敷で包む。まことに長い袖をあなたの体からむしりとって、くるくる巻いてしまう。あの人たちはあなたの分別収集をもう終えた。あの人たちはあなたのレコーダーを持ってゆく。あなたはいまではランドセルのようにあなたの家を背負って歩く人になった。駆けるとランドセルは上に下にと踊りだす。家に帰るの、毎日毎日帰るの。他のところには絶対に行かない。あなたはランドセルから取り出した56個の角を順々に指で確かめる。

 

 

ファン・インチャン

おそらく、先生は母親が残した物をたくさん数えて、確かめたのでしょう。詩を書き記すほどに心を大いに込めたことだっただけに、母親が残した物たちを数えながら感じたことを伺いたくもあります。

 

 

キム・ヘスン

そのときの私の思いはこの詩の最後の数行にあります。

 

あなたはいまではランドセルのようにあなたの家を背負って歩く人になった。駆けるとランドセルは上に下にと踊りだす。家に帰るの、毎日毎日帰るの。他のところには絶対に行かない。あなたはランドセルから取り出した56個の角を順々に指で確かめる。

 

私はいまや消えたオンマの家をかばんのように背中に背負って歩いて、その家の角を毎日なぞる人になったと言いましょうか。私にはすべての事物を失った人の虚しい感覚の手だけが残りました。あの家をすべて整理し、数ヶ月後、私の弟が私の娘と私をあの家に連れて行ったのですが、私たちはどうしてもあの家の扉まで近づけませんでした。いまでは56個の角しか残っていないのですから。オンマと消えた物たちがとても哀れでした。