1Q60年代

ラジオからは広沢虎造の次郎長伝が流れている。鋳物工場の近代化についていけず、組合と言えばアカだと思い、どんな仕打ちをされても親方を立てたい職人気質の父ちゃんがいる。貧しい者は、貧しいゆえに、自分を高める機会に恵まれないのかと疑問を投げかける優等生の娘がいる。やんちゃだが気のいいその弟がいる。日本での貧しさよりも北朝鮮での祖国建設と、帰国船に乗ることを選んだ娘の友人一家がある。1962年、川口、キューポラのある街。父ちゃんの再就職、定時制高校への進学、北朝鮮への旅立ち。物語の結末は、目の前に広がる未来への希望に満ちていたはずなのに、2009年の今、この物語をあらためてひもとけば、あのときの希望は、ずっと宙吊りにされたまま、痛みと苦さをそのうちに染みこませつつ、ひっそりとそこにあり続けている。手つかずの希望。

一九六〇年代初め。横浜から新潟・柏崎へと生き抜く道を探して移り住んでいった在日一家である我が家がある。当時まだ二十代半ば過ぎだった母に聞いた。その頃、新潟港から北朝鮮に向かう人たちが沢山いたのは知っていたかと。まったく知らなかったと母。

私が「キューポラのある街」を初めて読んだのは横浜の小学生だった1972年。映画「キューポラのある街」(裏山桐郎監督 主演吉永小百合)公開から10年後。その本には、中学3年のジュンを演じる吉永小百合の写真があった。