2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧
「東 うちむかて/飛びゆる 綾蝶(あやはびら)/まずよ 待て/蝶/伝言(いやり) 吾ぬ頼ま」魂を想う晩夏の夜。 「畳薦(たたみこも)平群の山の 熊かしが葉を うずに挿せ。その子。」植物を寄り代に頭の上に神を降ろすということを想う。
8月25日(土)、馬喰町のart+eatにて、盟友の浪曲師玉川奈々福が、拙著『はじまれ 犀の角問わず語り』のうちの一篇、「英雄ナージャ」を朗読した。薩摩琵琶の後藤幸浩さんと、事前に軽く打ち合わせと、音のタイミングのリハをしただけで、ほとんど即興で…
ブラジル日本人作家 松井太郎小説選『うつろ舟』を読む。解説の西成彦さん曰く、「日本人が日本人であることを止めた元日本人の文学」「日本語で書かれてはいるが、日本語で語りかけてこようとするような『よそ者』に対しては、懐かしさを覚えるどころか、ほ…
熊本に行ってきた。『東アジア文化論』という、まあ、なんでも話すことのできるタイトルの集中講義を、5日間、一日4コマ、駆け抜けてきた。その一日、学生たちを連れてハンセン病療養所、菊池恵楓園に志村康さんを訪ねた。菊地野という社会から隔絶された荒…
私は虚無へ引きかえす 帰るべき故郷を持つもののように耐えるとは、<なにかあるもの>に耐えることではない。<なにもないこと>に耐えることだ。体験とは、一度耐えきって終るものではない。くりかえし耐え直さなければならないものだ。理解しあい、手をに…
しかしまた、歴史におけるすべての終りは必然的に新しい始まりを内含するという真理も残る。この始まりは約束であり、終りがもたらし得る唯一の<メッセージ>なのである。始まりは、それが歴史的事件になってしまわぬうちは、人間の最高の能力なのだ。政治…
<生きることの困難さ>とは、<積極的に生きることの困難さ>である。労苦や悲しみにおし流されている間は、この困難さへの認識はない。 一度でよい。立ち止まって、そして自らに問え。 私たちが、この世の出来事に深くつまづくなら、それは私たちの深い関…
石原吉郎曰く、 「詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことばであるといってもいいと思います。もっとも語りにくいもの、もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、ことばにこのような不幸な機能を課したと考えることができま…