2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

北上から ~森崎和江の足跡を訪ねる旅~

11月16日から始まった森崎和江の旅をたどりなおす旅。 今回の旅の出発点は宗像・鐘崎であったけれど、 本当の出発点は、朝鮮なのである。 そのことを胸に刻みつつ、森崎さんの詩集「地球の祈り」を再読する。 むかしのその詩集(『かりうどの朝』)のあとが…

三内丸山遺跡に行ってきた ~森崎和江の足跡を訪ねる旅~

三内丸山 たくさんの縄文の人に会いました。 縄文土器 こんなに沢山 もっともっと沢山あったはず これを使って暮らしていた沢山の人びとがいたんだな 千年以上もの間、 さて、人は、この千年のあと、なぜに国家などというものを考えだしたんでしょうね。 一…

津軽のアラハバキ社

津軽 藤崎 荒磯崎神社。 ここは、『東日流外(つがるそと)三郡誌』に登場する、大和朝廷に抗したアラハバキ族の神が祀られていたと言われる。 中央に権力によって消されたアラハバキ神の社。津軽には他にも多数あるとされる。 ただし、『東日流外(つがるそ…

『クレヨンを塗った地蔵』より 抜き書き

津軽半島はいつ行っても、おがさまたちの手塩に染まっているかにみえる。おがさま、と、すこしくぐもったやさしいひびきで呼ばれるのは、四、五十代の女たちである。 津軽半島には大きな屋根をもつ神社仏閣は少ない。村むらには鎮守の森や氏神などの、村びと…

『北上幻想』抜き書き  まだ途中

<いのちの母国を探す旅 ①> かつての朝鮮で生まれ育ち、敗戦後をいのちの母国を探し探し私は生きてきた。探すことはたたかうことでもある。自分とたたかい、文化の流れをかいくぐり、批判や孤独に耐えながら、いのちへの愛をそだてる。多くの人びとがいく代…

福井・小浜 落穂ひろい

若狭小浜 疱瘡神御守札 組屋六郎左衛門に伝り候疱瘡神の事は、永禄年中に組屋手船北國より上りし時、老人便せんいたし来り、六郎左衛門方に着、しはらく止宿いにて発足の時、我は疱瘡神也、此度の恩謝に組屋六郎左衛門とだに聞は疱瘡安く守るへし。とちかひ…

八百比丘尼の旅  いのちをめぐって  抜き書き

編集 ◆もし、わたしが子を産んでいなかったなら、こんな形で日本海の浜辺をさまよったかどうかわからない。まるで民族の深層心理をたずねたがるかのような、あてもない旅などしなかったかもしれぬ。子をみごもっていた時の、ふしぎな知覚は予想もしないこと…

福井 小浜 神明神社 資料

熊野山 神明社の在る場所が、熊野山。 『大日本地名辞書』補【熊野山】遠敷郡○郡県志、後瀬の連峰にして而して西南に在り、山腹に熊野十二権現の社あり、其中間の役の小角の像を安ず、今の山伏なるもの小角の末徒なり、故に国中の山伏之を尊崇す、凡そ国中の…

宗像 鐘崎 落穂ひろい

この港で、鐘崎海女の松尾美智代さんと語らった。 お母さんの本田リキエさんと森崎和江さんの交流について、いろいろお話を伺った。 海女唄に ヤーレ あれが鐘崎の織幡(シキハン)さまだよ ヤレ 見たやたいの 拝またいよ ヤーレ 沖の瀬の瀬の ズンドウ箱の…

森崎和江  ことば  抜き書き 自他を結ぶ「産みの思想」「いのちの思想」の観点から

◆組織化されなかった無産階級婦人の抵抗は、ひとりひとりのおばあさんのなかでは消えておりません。けれども抵抗集団そのものは挫折しました。そしてそのあとにつづくものは何も本質的に生まれてはおりません。一度の挫折も経験したことのない日本的母性は、…

森崎和江『海路残照』  メモ その1 玄界灘鐘崎編 

渚への「寄り物」としての火いかの話をする女がいる。 この鐘崎の浜はいろんなものが流れてくる所たい。と語る老人がいる。 鐘崎を、いのちの語りを求めて彷徨い歩く森崎和江は、人魚の肉を食べて、あるいは貝の肉を食べて、不老不死となった八百比丘尼のこ…