2018-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「なんの変哲もなさそうな奥山の森林にも、よく見てみれば人間の歴史が刻まれている。」P157

熊野川流域は古代から、鉄、銅、金、銀、水銀などの採掘がさかんだったから、キリクチ谷に最初に入ったのも鉱山師であったかも知れない。 だがこの谷ではじめて生業を営んで済んだ者はといえば、それは木地師ではなかろうか。木地師というのは、轆轤など特殊…

カモシカにしてみれば、人口植林されたスギ山とかヒノキ山とかは、砂漠に過ぎないのだという。

シカの目で、クマの目で、タヌキの目で、ノウサギの目で、山を歩けば、そこはあまりに生き難い荒廃した世界なのだという。山の人、宇江敏勝が書いているのは、十津川山峡での山の暮らしの今昔。 本書が書かれたのは、急激な産業の近代化によって、山における…

『苦海浄土』を読み直している。第三章「ゆき女きき書」を読み終えたところで、正気を保つのがやや難しくなる。

ゆき女の声は、石牟礼道子の声でもある、じょろり(浄瑠璃)を語って旅する六道御前の声でもある、数限りない死者たちの声でもある、石牟礼道子が言う「じょろり(浄瑠璃)」とは、「説経」をさすものと思ってもらっていい。文学が死者たちの声の賜物である…

2020年の東京にはいるまいと思った。それもまたきっかけの一つではある。

2018年11月2日。奈良に移り住むための根拠地の立ち上げ。 あらたなはじまりへの第一歩。

空海『声字実相義』にこうある。「五大にみな響きあり、十界に言語を具す、六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり」。それをまた別の言葉で言い換えると、↓ のようになるわけだ。

場所は記憶をもっている。そして、場所は記憶することの痛みをもっている。場所は記憶をためる。そして、それは沈黙のモノガタリを語りつづける。いや、その語りは沈黙であるどころか、じつにはっきりとした声(サウンド)を放っている。それを聞く耳、その…