2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧
鎌田東二によって、石に神を感じ取って山中を渉猟する山岳修行者、修験者と同じ感覚を持つ者として賢治は語られる。 その文脈のなかで引用される「石っこ賢さ」の言葉の数々。 わたくしたちは、氷砂糖を欲しいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風を…
オルレが流行って、市場も毎日オルレ市場と改名した西帰浦の町、そこで私は団体から一人離れて、交差点の角のスタバで山尾三省の『火を焚きなさい』を読んでいる。近代化に抗する道/オルレと言い切るのは、やや無邪気だろう、それでもなお自身のオルレを思…
歩いて生きること、風景はその外側から観るものではなく、その中で生きるものなのだということを、思い出させる済州の道、 徐明淑氏自身がその道にたどりつくまでの人生の長い時間を聴いた。 とりわけ成り行きで我知らず民主化運動の真ん中で活動し、拘束さ…
臥屹里→松堂里→金寧里→北村里→新興里→善屹里とまわっていく。 「松堂」 ここは済州島の「堂」の神々の親とされる。 「北村里の海辺の堂」 有名な臥屹里と松堂里のほかは、堂の場所がよくわからない。 タクシーの運転手さんが地元の老人たちに聞いては探す。 …
石文化公園に来たのは、四回目だと思う。 それは、この公園を創り出したひとりの男の狂気に引き寄せられてのこと。 男は、島の創世神ソルムンデハルマンと、その五百人の息子である五百将軍の神話を、自分自身の生の神話として、生きている。 男自身の母が「…
『現代説経集』(姜信子 ぷねうま舎)より。 ただし、京都では、京都の声で、本文どおりには語っておりませぬ。 - 実を言えば、わたくし、ここのところ、恥ずかしながら「水のアナーキスト」を名乗っております。どうか陳腐な名乗りだと笑わないでください、…
宗像から鹿児島の写真記録は ↓ にある。 宗像多禮の修験の跡をたどり、鹿児島ではハンセン病療養所の「死」をめぐる風景。 http://omma.hatenablog.com/entry/20181021/1540090780 敬愛園では、忘れがたい出来事。具体的な場所は言わない。その場所に入った…
それは「死者たちの声」とも言えるし、生きながら「死」を生きる者たちの声とも言えるし、いずれにせよ、私はますます死者たちとともにいるのだとつくづく感じたのが今回の旅。宗像には、「死」を特別なこととして受け止めない、草木がだんだんと枯れていく…
縁あって、宗像市多禮の公民館で、『あやとりの記』の世界、そして『西南役伝説』より「六道御前」を、祭文語り八太夫を語り手に、私は狂言回しの役割で、上演することとなったのです。ここ多禮には、人の死を、生からの地続きの自然の成り行きなのだと受け…
●ある沖縄人の声「戦場化を押しつけた者がいなければ、わたしは沖縄戦にこだわらなかったはずだ。しかし、沖縄人を殺した日本人がいた。沖縄人を殺した沖縄人がいた。朝鮮人を殺した沖縄人がいた。そして、沖縄人はわたしだ。わたしが日本人に殺され、沖縄人…
★「歓待」を考えるための現代的な前提 「歓待」とは一般的に、国家、共同体、家庭などが、その戸口に到来した他者(外国人、異邦人、よそ者、客人など)を――無条件に、あるいは条件付きで――「迎え入れる」慣習や制度のことをいう。 国境や共同体のあいだをさ…
まずニーチェの声。 「おお、人間よ、そなた、高等な人間よ、心せよ! 次の言葉はさとい耳に、そなたの耳に聞かせるためのものだ――深い真夜中は何を語るか?」 そして、ヤン・パトチカの声。 「人間は不安をかき立てるもの、和解不可能なもの、謎めいたもの…