2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧

文字を持たぬ世界

「文字をもたない世界にあっては言葉は神聖なものであり、威力あるおのと考えられた。呪言が相手の人間に不幸を与えると考えたのもそのためである。また、人々が不幸について語るとき「これは自分のことではないが……」と前置きして話しだすのも、その不幸が…

文字をめぐって

明治39年(1906)に児童就学率は96.4パーセント。 文字の浸透。 「学校教育は国家の要望する教養を国民にうえつけることであったが、それは庶民自身がその子に要求する教育とはちがっていたということに大きなくいちがいがあり、しかも両者の意図…

伝承をめぐって

★かつて、小豆島四海村小江の若者組では、なんと原稿用紙にすると85枚になる「イイキカセ」を加入にあたって覚えさせられたのだという。 正月二日に若者入り、そして十五日までには覚えた。(昭和25年当時) 「言葉によって伝承せられる社会では、言葉は…

足尾銅山の煙害と、山の乱伐で滅びた松木村跡(松木沢)に行ってきた。

風が吹いていた。山と山に挟まれた道をゆく、その後ろから、どっどど どどうど どどうど どどう、唸りをあげて風が追いかけてくる。 又三郎だな。 山を風が駆け下りてくるのが見える。風が蹴立てた土埃が風と一緒に山肌を走ってゆく。風の音は、ここにある。…

文字を持つ伝承者(2)高木誠一翁(1886〜1955:明治19年生)福島県平市神谷

高木誠一翁の家について 「よくはわからぬが、もともと加賀白山の山伏であったらしい。それがこの土地におちついて、白山神社をまつり、村を神の加護によっていろいろのわざわいからまもる役目をしてきた。……家の神であった白山社は村の氏神になってしまった…

 文字を持つ伝承者(1)田中梅治翁 ――伝承における「明治二十年問題」!!

宮本常一曰く、 「文字を知らない人と、文字を知る者との間にはあきらかに大きな差が見られた。文字を知らない人たちの伝承は多くの場合耳からきいた事をそのまま覚え、これを伝承しようとした。よほどの作為のない限り、内容を変更しようとする意志はすくな…

庭田源八翁の書いた「鉱毒地鳥獣虫魚被害実記」から立ち上がる声に誘われて、渡良瀬川のほうへと小さな旅。

旅の記録は、↓ にある。http://omma.hatenablog.com/ 足尾銅山が原因の洪水と鉱毒で鳥獣虫魚も死に絶え、人も移り住んでゆく、足利郡吾妻下羽田。「ニ十歳以下の者この例を知るものなし」と、 鳥獣虫魚も人も豊かに暮らしていた頃の下羽田の土地の記憶を語る…

いまを生きるカタリを考えるために。その2 石垣島から

石垣島のユンタの名手山里節子さんは、昭和12年生まれ。生後間もなく、母親が病気で郷里の新潟に療養に戻ってしまったために、明治生まれの祖母に育てられた。 だから、節子さんは、明治の、日本語を話さなかった石垣島のおじいおばあたちが話していた島言葉…

いまを生きるカタリを考えるために。 その1

敗者の鎮魂の物語として「古事記」を読み解く三浦佑之氏 「いくつもの日本」という問題意識で語りを読み解く赤坂憲雄氏● 対話抜き書き<市と物語をめぐって> 三浦「市という交易の場所は、話の交易の場所と理解していい」 赤坂「お話というのは閉じられた空…