2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

求愛

原稿を書く合間に、あれこれ本を眺める。 心和むのは、最近近所の古本屋で手に入れた「ゑげれすいろは詩画集」(川上澄生全集第一巻 中公文庫) ざっくりとした版画と、妙な抜け具合の言葉。 AからZまで(つまり、ゑげれすいろは)のJは、版画でトランプ…

忘れる

明日は妹の命日。 今日は、一日前倒しで、母と姉と三人で、三浦にある海のそばの霊園にお墓参りに行って来た。 亡くなって9年も経てば、いろいろなことを忘れる。 気がつけば、いろいろなことを忘れていたということを、今日思い出した。 たとえば、携帯電…

卒業

3月23日は娘の大学の卒業式だった。冷たい風吹く、まことに寒い日だった。 慶應日吉キャンパスは卒業生とその家族で溢れかえり、その家族の多さと言ったら、卒業式会場とは別に、大スクリーンで卒業式の模様を映し出して見せる家族会場があるほどで、二十…

反省する審査員

3月21日は、第二回クムホ・アシアナ杯「話してみよう韓国語」高校生大会の日本語エッセイ部門の審査員をしてきた。(他に韓国語スキット部門、韓国語スピーチ部門がある)。日本語エッセイ部門のもうひとりの審査員は作家の関川夏央さん。関川さんとは、第…

それぞれの事情

雑誌原稿、新聞原稿。新聞は3年間の連載の最終回。雑誌原稿は、沖縄、言(ロゴス)、闇の三題噺。かかりきりの単行本原稿の手直し、ようやく三分の二まで到達。断続的に3年にわたった連載がベースにあるのだが、書いた時の気分を忘れて果ててしまっている…

寄り目

家にこもってパソコン画面を見ているか、本を読んでいるか、いずれにせよ、近くに焦点を合わせ続けていると、もう、脳みその芯、脳幹のあたりから、ぐぐっとすべて寄り目になってきて、内側から自分が縮こまって、真空の瓶のなかに吸い込まれていくような感…

取り返しのつかないこと

自由が丘を歩く。 何度行っても自由が丘は地図が頭に入らず道に迷う。より正確には、行きたい店にたどり着けない。つまり、自由が丘自体が迷宮というわけではなく、ピンポイントで頭の中の地図から消えてしまっていて、一度行ったことがあって、もう一度行き…

あなたは居なさい、ぼくは行く

書評を書く。 すばる4月号を眺める。 思いっきり甘酸っぱいあんかけカニ玉を作る。宮内勝典「孤島語」を読む。 北米最後の野生インディアン《イシ》の話した淋しい孤島語。 《イシ》とはヤナ族の言葉で《人》の意らしいが、《イシ》と呼ばれた北米最後のイ…

父のトランク

「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」を国立劇場で観てきた。一般には「魚屋宗五郎」の件りが有名なお話。今回は、魚屋の場面の前提となる「お蔦殺し」の件りから見せる通し狂言。 お蔦は宗五郎の妹。旗本のお殿様に妾奉公に出ていたのだが、…

カンヅメの一日の楽しみ

原稿が立ち往生すると、すぐにBGM用の音を編集しはじめる。 一昨日は70〜80年代洋楽をyou tube で集めて再生リストに加え、今日はSinead O'cconorばかりを集めた再生リストをやはりyou tube で作る。Sinead O'cconorはアイルランド出身のアーティスト…

キャベツをたっぷり

個食のごはんを炊くのも面倒で、夕食は簡単にソース焼きそばを作る。麺よりはるかにキャベツが多い。 昨晩はカレー。お子様ランチな食事の日々。 七人家族の家庭で育ったせいなのか、大雑把な性格だからなのか、カレーに限らず鍋を使う料理は、二人暮らしで…

小説の自由

同じことを語るのに、それが、「夢からさめる」なのか、「夢をみる」なのか、あるいは、「つながっている」のか「つながっていない」のか、そのどちらのほうがより言いえているのかを一日ぐるぐる考える。考えているとなかなか筆は先に進まず、うっかりする…

世間に添わせぬ

毎週火曜は小唄のお稽古。なんでまあ、自分が小唄をやっているのか、実はナゾなのだけれども、基本的に家にこもりがちの日々のアクセントというか、気晴らしというか……。 世間に添わせぬ義理がありゃ こっちに別れぬ意地がある 度胸決めれば世間も義理も 何…

蠅の苦しみ by エリアス・カネッティ

単行本の構成を繰り返し考えては、考えをまとめるために、というか気を紛らすために書棚からいろいろな本を引っ張り出す。久しぶりに目にしたエリアス・カネッティ「蠅の苦しみ」の一節。「世界の息吹から遠ざけられて、おまえは、息吹どころか風も入らない…

チェチェン民族学序説

やってくれたね! と、この本を企画・編集・出版した方々に思い切りスタンディングオベーションしたくなる痛快な本。今まで書かれることのなかったチェチェンの民族文化・伝統が実に平易に親しみやすい語り口で書かれているのだが、それをチェチェン人ジャー…