2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 島々の教え  〜けえらんねえら 唄いじょうら!〜

現代詩手帖に寄稿しました。

 めぐる旅は水の呼び声

「八百比丘尼」伝説を追った旅のエッセイです。

 「云々」なんか読めなくても、基本的にでんでん構わないです。

漢字なんか読めなくても、そもそも文字を学ぶ機会も環境も持ち得ずに大人になっても、地べたを這うようにして必死に生き抜くことでみずからを磨き上げてきた畏敬すべき知恵深い人々がこの世の中には沢山いらっしゃいますし。 たとえば、沖縄最後のお座敷芸者…

 胸に刺さっている言葉ひとつ。

「だって、あなた、社会派じゃない、社会問題を追いかけてるじゃない。あたしはそうじゃないから」昨年末のことでしたが、長い付き合いのある人にさらりとこう言われたときに、どうしようもない違和感と悲しみが瞬時に心に湧きおこったのでした。 これにかぎ…

 禅の中のバサラ、というのは意外なタイトルだな、と『中世芸能講義』を読む。

★禅と芸能と言えば、一休さん 後小松天皇の子。禅僧。ここに芸能者が集まる。金春禅竹、宗祇の弟子の有名な連歌師柴屋軒宗長、山崎宗鑑(連歌師)、村田珠光(侘び茶の祖)……。これを「一休文化圏」という。by 松岡心平。 ★中国の禅文化の流入 13世紀中頃…

 哲学は今日、音楽の改革としてのみ生じうる。

ムーサが歌い、人間に歌を与えるのは、言葉を語る存在がみずからの死活にかかわる住まいにしてきた言語を完全に自分のものにすることができないでいることをムーサが象徴しているからである。 音楽が存在していて、人間がたんに言葉を語るだけにとどまってい…

花の下連歌の無縁性と脱構築性

そこは社会から断ち切られた特別な場。無縁の自由空間。そこは冥界に通じる超越的な場でもある。 つまりは、境界的な場。無縁平等な人間集団の場。それは「一揆」というきわめて中世的な人間結合の現象につながってゆく。一揆とは、一味神水という神前の儀式…

花の下連歌とは、花鎮めなのであるということ

13世紀中頃、1240年代に一般大衆が参加する言語ゲームの場が、法勝寺や毘沙門堂といったお寺の枝垂れ桜の下に開かれた。熱狂すればするほど神さまが喜ぶ、熱狂すればするほど意に満たずして死んでいった怨霊たちの心が慰められる。花見は静かにやるも…

 連歌的想像力、つまり批評精神が大事ということ

連歌は瞬間的な世界変換、あるいは脱構築の連鎖によって成立する多声的で未完結の開かれた体系である。和歌が一つの世界に没入するものとするならば、連歌は常に相手の言っていることを理解したうえで、別の世界をどのように自分にぶつけていくかが問われる…

12月30日 『大松明まるき』(斎館、庭上)

以下、宿坊多聞館のHPより。各町の若者の代表が羽黒山山頂に上り、悪鬼・邪悪の象徴とされるツツガムシを模った大松明を作り上げる。斎館で松聖によるお祓いを受けた若者達は大松明の材料となる綱・網・簾などを斎館から山頂まで担ぎ上げる。担ぎ上げた材料…

廃仏毀釈を生き延びた羽黒山 荒澤寺 

<羽黒山 荒澤寺 絵図>● 荒澤寺は、羽黒山荒澤口にあり、かつてはここより女人禁制。 ● 現在の荒澤寺 本寺 <羽黒山 正善院 絵図> ● 現在は、羽黒山ふもとの正善院が、羽黒山 荒澤寺正善院として、仏教系修験の本拠地となっている。 ● 湯立に使ったと思わ…

三山一枚絵図より、<湯殿山>

●湯殿山の霊力の源泉、湯殿岩は秘所として描かれていない。 ●湯殿山 注連寺 即身成仏鉄門海上人を祀る寺

 これは江戸時代に描かれた三山一枚絵図