2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

死者たちと共に生きるということ/野の道をゆくということ

山尾三省『野の道』は、この一文からはじまる。 「私は、野の道を歩いてゆこうと心を決めて、今、この野の道を歩いている」 この「野の道」とは何なのか? 単純に自然の中で生きる、というような話ではないことは確かだ。 「野の道」は、賢治の「オホーツク…

小野十三郎  メモ

「犬」 犬が口を開いて死んでいる。 その歯の白くきれいなこと。 (「抒情詩集」より) 革命は、人間の耳、聴覚に対しては最もおそくやってくるか、或は永久にやってこない。それに反して、旧い勢力や古い秩序の立ち直りときたら、これはおどろくべき早さで…

渚に立つ  メモ  つづき

「同質はこの世に存在しない。同質は存在しないと知った者だけが人を愛するという苦悩を生きうるのだ。異質ゆえにひびき合う魂、ひびき合いつつなお己れの固有の理由にこだわる精神だけが私たちを、一人一人をよく自在な方位へ展開させるのかもしれない」

清田政信『渚に立つ』(共和国) メモ

「渚に立つ。これは寂寥から立ち直れない者がなすことのできる最後の行為だ」 この声は、近代に在って、風土に立って、古代の力に触れ、近代を越えることを考えぬく者の声。 折口信夫に触媒に沖縄から放たれる声。 返信0件のリツイート0 いいね 返信 リツイ…

なぜ尹東柱なのか。  メモ

「日本語にあらがいつつ、それでも日本語で生きねばならない一人の在日の表現者」 という自己規定する詩人金時鐘がいる。 この詩人が尹東柱を語れば、当然に異なる容貌が浮かびあがる。 時代の情感に流されてのまれて歌うのではなく、 自分の抒情で歌うこと…

金時鐘「私の八月」より  (メモ)

国家と国民と植民地の民と。 いまいちど、自分自身の来歴を考えるために。 ”終戦”時、「戦勝国に準ずる解放された国民」とみなされた私たち在日朝鮮人は、一九四六年十一月五日と十二日の連合軍総司令部からの一片の声明「まだ本国に帰還していない者は日本…

金時鐘『背中の地図』から。 

「事もなく」と、金時鐘は、繰り返し、投げ捨てられ、忘れられ、消されていくモノ・コト・ヒトを歌ってきた、ということを想い起こす。 ノアの洪水さばがらの東日本大震災の惨事すらやがては記憶の底へと沈んでいって、またも春は事もなく例年どおり巡ってい…