2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
「記憶できないほど愚かになったから書くのよね」 と、トニ・モリスンは言ったという。 同時に、また、トニ・モリスンは国でも州でもない、共同体や町についての細かいこと、雰囲気、手ざわりについて語ったという。それは黒人女性がそこで生きて、根を生や…
なぜ、森崎和江は、奈落の底の神々を追ったのか? 第三章の最後の項「消えない」にその問題意識、森崎和江の立ち位置ははっきりと語られている。 炭坑という奈落に生きる人びとが、共に生きた奈落の神々がいる。 坑夫たちは彼らの「やまの神」のみならず、地…
読み終わって、すぐに、こうやって書きながら何が語られていたのかを想い起こしてゆく、眠りにつく前、半分夢の中で読んでいた世界だから、彼らの世界もまた私の夢のような心持ちにもなる、目覚めても忘れることのない夢。 夢のなかで、私は思わず呟いている…
この本はを読むのは15年ぶりで、 その15年間は私自身の旅の作法、人びとの向き合い方、生き方を 大きく変えてきた15年でもあった。 だからだろう。 まるで、初めて読む本のようにして、この本を読む。 かつて文字で追って頭で理解した(と思っていた)ことと…
<はじめに>から なぜ森崎和江は果てしなく旅をしたのか……。 「私はぬきさしならなくなっているだけである。引きかえすすべがなくなっている。」(森崎和江『奈落の神々 炭坑労働精神史』はじめに より) 思わず、「あっ」と小さな叫びをあげて、息をのんで…
谷川雁と云えば、すぐ私の頭に浮かぶのは黒田喜夫である。一人は北九州、一人は東北の詩人で、地理的にも対極にあった詩人だが、黒田喜夫にもあったコンミュンのイメージは、谷川君とは、対極とは云えないにしても、ちょっと存在の次元がちがっていた。黒田…
自分たちの世界に向けられた近代知識人のまなざしを否定して、逆に自分たちの生活世界から近代の正体を明らかにしてゆくところに石牟礼文学の本質があると申しましたが、その際彼女は決して被抑圧者としての民の利害や言い分を代表するという方向をとってお…
権力によって民族語をうちくだくことはゆるしがたい残忍さであるが、民族が言語としてよって立つ日常的伝統を、他民族のなかへ移植することも不可能なのである。私は日本語をつかいながら、そのことばのもつイメエジのほとんどを朝鮮化して用いてきた。その…
私たちの言葉は、まだその闇へ到達できておりません。 (『ははのくにとの幻想婚』所収「地の底のうたごえ」より) 性が単独な機能ではないのに、女の性は生誕を具象としてもち、男の性は生誕を抽象とします。困ります。なぜなら具象の力とはたいへんなもの…
詩とは、自然や人びととのダイアローグだと、幼い頃から思ってきました。人っていうのは、自然界の中で、鳥や、みみずや、蟻なんかと一緒に生きているわけでしょ。小さい時、私はいつも、詩や絵を描いて遊んでいたけれど、それは、天然、自然とのダイアロー…
「産み・生まれるいのち」より 死について古来人びとはさまざまに考えてきているのに、産むことについてなぜ人間は無思想なのだろうと、若い頃から疑問に思ってきました。死は個人にとって、個としての生活を完結させます。これにたいして、産むことは個に限…
出発点。 <はじめに>より 私には、それとも女たちは、なぜもこうも一切合財が、髪かざりほどの意味も持たないのでしょう。 愛もことばも時間も労働も、あまりに淡々しく、遠すぎるではありませんか。なにもかもがレディ・メイドでふわふわした軽さがどこま…
1930年代 満洲東部 北間島(現在の中国延辺朝鮮族自治州)において「民生団」事件という、朝鮮人の抗日遊撃隊の根拠地における朝鮮人同士の虐殺事件が起きた。 それがこの物語の背景。 民生団(1932年2月~10月)という見慣れない団体については、水野直樹先…
2020年暮れから読み始めて、2021年元旦に読み終えた、今年最初の読了本。 いきなり、こう始まる。 私の名前はアリシア。女装ホームレスとして、四つ角に立っている。 君はどこまで来たかな。君を探して首をかしげているよ。 アリシアがいかにしてア…
youtu.be やはり小森はるかは「座敷わらし」なのだな、と思いつつ、スクリーンの中の人々の声に聞き入った。 (前作『息の跡』を観た時にそう思った。) 聞き手(小森)には、ことさらに聞こうとする気配がない、ただそこにいる。 聞き手は、ことさらに「聞…
youtu.be <映画を観た直後に友人に送った、ちょっと興奮気味の手紙> CU-BOP、本当に面白かった! ちょうど、ほんの数日前に、いわゆるK-POPと韓国の伝統芸能(放浪芸)の歌と語りの違いという話を韓国のパンソリの唱者とやっていて、 どんなにK-POPがかっ…