コリアン・ディアスポラと文学 ~流転、追放、ジェノサイド、そして記憶の物語り~ 

コリアン・ディアスポラと文学 ~流転、追放、ジェノサイド、そして記憶の物語り~ @2024年3月3日 九州大学韓国センター 今日は3月3日。2日前の3月1日は、韓国では3・1節。 3・1独立運動の発端となった独立宣言文が読まれた日です。 この独立運動が植民地権…

『いつか、この世界で起こっていたこと』(2012 黒川創)

黒川さん、チェホフが好きだけど、チェホフ好きな自分がいやなのかな。 詩人アンナ・アフマートヴァみたいに。 私もチェホフは好きです。「曠野」とか「学生」とか、とても好きです。 たとえば、「学生」。 実家のある田舎の村に帰ってきている神学生イワン…

歌集『月陰山(タルムサン)』(1942)尹徳祚のこと

歌集『月陰山』。 これは、植民地において最初に朝鮮人によって編まれた歌集。 尹徳祚は、2024年刊の『密航のち洗濯 ときどき作家』が基にした日記の主である尹紫遠と同一人物。 戦後、生きる術を求めて日本に密航してきた尹紫遠は歌を詠むことはなかった。 …

2024年2月18日 パレスチナ連帯散歩 by 百年芸能祭関西実行委員会

団体行動が苦手、人がたくさんいるところが苦手、 でも、家でひとりでできることをするだけでは、もう耐えられない、 耐えられずに、街に出て、もう耐えられないぞと、誰かれなく囁きかける、 そんな〝パレスチナ連帯/植民地主義にもジェノサイドにもサヨナ…

旗のない文学――朝鮮 / 「日本語」文学が生まれた場所 

面白いな。 金達寿ら横須賀在の朝鮮人たちは、解放後すぐに旗を作ろうとして、太極旗の四隅の「卦」がわからなくて、それを覚えている古老を探しまわったのだという。 植民地の民に、旗なんかなかったんだね、朝鮮人の文学も日の丸以外の旗なんか立てようが…

サハリンの日本語文学 李恢成 /「日本語」の文学が生まれた場所

植民地支配という近代日本の負債を通して、サハリン(樺太)の日本語文学は、非日本人の作家・李恢成へと引きつがれた。 と黒川創は書く。なるほど、確かにそうかもしれない。 1981年にサハリンを訪れた李恢成は、現地で会った師範大学で経済学を教える朝鮮…

「日本語」の文学が生まれた場所 をめぐって

植民地空間に生まれた「日本語文学」は、 やがて、それが、「皇民」か否か、国家に益あるものか否かが問われ始める。 政治権力と文学の関わりのなかで、収まりどころのない宙ぶらりんの意識が、 生みだす文学がある。 言いかえるならば、国家と結びついた確…

小説「初陣」について  『「日本語」の文学が生まれた場所』黒川創

1935年、プロレタリア文学系の文芸誌「文学評論」に、李兆鳴という朝鮮人の日本語による「初陣」という小説が発表される。 それは、朝鮮窒素を舞台に、そこで働く朝鮮人労働者の厳しい労働の状況と弾圧とその中での連帯の光景を描いたもので、 そのもとにな…

女の言いぶん  『「日本語」の文学が生まれた場所』黒川創

yomukakuutau.hatenadiary.com 2023年12月7日の記事の補足。 近代文学が獲得する「女たちの話体」という見出しのもと、序で以下のようなことを、黒川さんは語る。 「漢字文化圏」としての極東アジアにおいて、漢文という書き言葉の教養は、女性を除外するホ…

『被災物 モノ語りは増殖する』

「前例のない非常識なことが目の前で起きているのに、前例や常識に従って何を伝えることができるのでしょうか。このやり方が既存のやり方に対して喧嘩を売っていることも、タブーを犯していることもわかった上で、それでも、この方法で表現するしかなかった…

闇の奥   

2024年の最初の一冊は、コンラッド『闇の奥』(黒原敏行訳 光文社文庫)。読みなおし。コッポラの『地獄の黙示録』のイメージが強すぎて、それを振り払いながら、 若き頃にコンゴ川をさかのぼっていった老船乗りマーロウが、闇の中で見て聞いて経験したこと…

パレスチナと私たちの小さな歌

GAZAの人びとが歌い踊るのを見た。 踊る少女を見た。 You can't break the Palestinian spirit! pic.twitter.com/qjxwb2dR7t — Censored Men (@CensoredMen) 2023年12月27日 ノルウェーの人びとが、GAZAに心を寄せて、パレスチナ国歌を歌うのを見た。 Norw…

作家キム・ヨンスと詩人白石と詩人金時鐘と詩人キム・ソヨン

キム・ヨンス『七年の最後』(橋本智保訳 新泉社)を読んだ。 これは、北朝鮮の体制の中で、ついに、詩を書かないことで自身の文学を全うした詩人白石の、詩を書かなくなる最後の7年を描く物語であり、キム・ヨンス自身の文学観が語られている物語でもある。…

詩 「新しい世界にようこそ」

新しい世界にようこそ 人知れず無数の獣が大地を蹴って躍るとき、ひそかに世界が変わるということを、あなたは知ってる? この世の涯の密林の奥で、ほかの誰に知られることなく、この世が災厄にのまれぬよう、かがり火焚いて夜を徹して輪になって踊る歌の祭…

『「日本語」の文学が生まれた場所』黒川創

近代の言文一致体を作り出すために、どれほどの苦労があったことかと、 文学史において、二葉亭四迷やら、山田美妙やらのさまざまなエピソードや、 鴎外や漱石の文体について触れてきたわけであるけれど、 『「日本語」の文学が生まれた場所』の黒川さんの序…

暗い時代に、想い起こす言葉、一つ

まっくらな闇の中を歩みとおすとき、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である。 ヴァルター・ベンヤミン 「師よ、わたしたちが善き友を持ったならば、仏道の半分を完成したことに等しいと思いますが、いかがでしょうか」 「アーナンダよ、違う。…

2023年10月26日 北上に鬼剣舞を観に行った。

北上駅構内に鬼剣舞の人形 駅前には鬼剣舞銅像 朝の北上川 宿の窓から 鬼柳鬼剣舞を観に、鬼柳六軒集落へ。 集落の入口の碑石群 庚申塔 馬頭観音 南無阿弥陀仏 永陽大師? 慧燈大師 見真大師 剣舞稽古場 準備中の舞い手たち これから彼らは鬼になる 岩崎鬼剣…

北上から ~森崎和江の足跡を訪ねる旅~

11月16日から始まった森崎和江の旅をたどりなおす旅。 今回の旅の出発点は宗像・鐘崎であったけれど、 本当の出発点は、朝鮮なのである。 そのことを胸に刻みつつ、森崎さんの詩集「地球の祈り」を再読する。 むかしのその詩集(『かりうどの朝』)のあとが…

三内丸山遺跡に行ってきた ~森崎和江の足跡を訪ねる旅~

三内丸山 たくさんの縄文の人に会いました。 縄文土器 こんなに沢山 もっともっと沢山あったはず これを使って暮らしていた沢山の人びとがいたんだな 千年以上もの間、 さて、人は、この千年のあと、なぜに国家などというものを考えだしたんでしょうね。 一…

津軽のアラハバキ社

津軽 藤崎 荒磯崎神社。 ここは、『東日流外(つがるそと)三郡誌』に登場する、大和朝廷に抗したアラハバキ族の神が祀られていたと言われる。 中央に権力によって消されたアラハバキ神の社。津軽には他にも多数あるとされる。 ただし、『東日流外(つがるそ…

『クレヨンを塗った地蔵』より 抜き書き

津軽半島はいつ行っても、おがさまたちの手塩に染まっているかにみえる。おがさま、と、すこしくぐもったやさしいひびきで呼ばれるのは、四、五十代の女たちである。 津軽半島には大きな屋根をもつ神社仏閣は少ない。村むらには鎮守の森や氏神などの、村びと…

『北上幻想』抜き書き  まだ途中

<いのちの母国を探す旅 ①> かつての朝鮮で生まれ育ち、敗戦後をいのちの母国を探し探し私は生きてきた。探すことはたたかうことでもある。自分とたたかい、文化の流れをかいくぐり、批判や孤独に耐えながら、いのちへの愛をそだてる。多くの人びとがいく代…

福井・小浜 落穂ひろい

若狭小浜 疱瘡神御守札 組屋六郎左衛門に伝り候疱瘡神の事は、永禄年中に組屋手船北國より上りし時、老人便せんいたし来り、六郎左衛門方に着、しはらく止宿いにて発足の時、我は疱瘡神也、此度の恩謝に組屋六郎左衛門とだに聞は疱瘡安く守るへし。とちかひ…

八百比丘尼の旅  いのちをめぐって  抜き書き

編集 ◆もし、わたしが子を産んでいなかったなら、こんな形で日本海の浜辺をさまよったかどうかわからない。まるで民族の深層心理をたずねたがるかのような、あてもない旅などしなかったかもしれぬ。子をみごもっていた時の、ふしぎな知覚は予想もしないこと…

福井 小浜 神明神社 資料

熊野山 神明社の在る場所が、熊野山。 『大日本地名辞書』補【熊野山】遠敷郡○郡県志、後瀬の連峰にして而して西南に在り、山腹に熊野十二権現の社あり、其中間の役の小角の像を安ず、今の山伏なるもの小角の末徒なり、故に国中の山伏之を尊崇す、凡そ国中の…

宗像 鐘崎 落穂ひろい

この港で、鐘崎海女の松尾美智代さんと語らった。 お母さんの本田リキエさんと森崎和江さんの交流について、いろいろお話を伺った。 海女唄に ヤーレ あれが鐘崎の織幡(シキハン)さまだよ ヤレ 見たやたいの 拝またいよ ヤーレ 沖の瀬の瀬の ズンドウ箱の…

森崎和江  ことば  抜き書き 自他を結ぶ「産みの思想」「いのちの思想」の観点から

◆組織化されなかった無産階級婦人の抵抗は、ひとりひとりのおばあさんのなかでは消えておりません。けれども抵抗集団そのものは挫折しました。そしてそのあとにつづくものは何も本質的に生まれてはおりません。一度の挫折も経験したことのない日本的母性は、…

森崎和江『海路残照』  メモ その1 玄界灘鐘崎編 

渚への「寄り物」としての火いかの話をする女がいる。 この鐘崎の浜はいろんなものが流れてくる所たい。と語る老人がいる。 鐘崎を、いのちの語りを求めて彷徨い歩く森崎和江は、人魚の肉を食べて、あるいは貝の肉を食べて、不老不死となった八百比丘尼のこ…

森作和江 北への旅 その3 メモ

ひきつづき『原生林に風がふく』 数多くの森崎和江の文章で、くりかえし記される森崎和江の旅のはじまりにまつわる述懐。 朝鮮体験の重さと弟の自死は、私を賢治以前の魂の日本へと、突き放ちました。 私には、言葉以前の、伝承力を感じさせるしぐさについて…

森作和江 北への旅 その2 メモ

『原生林に風が吹く』簾内敬司×森崎和江 ◆旅のはじまり 道案内人は簾内敬司 木に会いたい、その旅へと急ぐ、森崎和江がいる。 「なぜ、東北は、山を恋うのだろう」 私が今会いたい木は、それら私や私の親世代たちが踏みわたった近代の影などにおびえることな…