2015-01-01から1年間の記事一覧

 人には貪欲虚妄とて、欲心内に含めば、親しき中も疎うなり候。

幸若舞「信太」。 これは「山椒太夫」と同根の物語。主人公の信太の小太郎と千手が姫は、桓武平氏将門の流れである相馬氏の子で、父の相馬殿は亡くなって一年にもなろうとする。千手の姫の婿である小山の太郎行重は、亡き相馬殿への孝養とねんごろな供養をす…

新春 猿八まつりのご案内

Ya!Ya!Ya! 馬喰町に猿おどる春が来る!一足早く、 おめでとうございます、おめでとうございます!2016年 申の年 佐渡が島より、 人形浄瑠璃 猿八座が、福と禄と寿を引きつれて、 皆々様のもとに参上つかまつります。近松門左衛門よりも、義太夫よりも、つ…

「うたのはじまり」の歌

姜信子『はじまりはじまりはじまり』(羽鳥書店)より。https://www.youtube.com/watch?v=YI_nj8qwNkQ&list=PL2f7XMQZC6CgNZ6hmzhX6EbQHW6nhwqFSこの詩を版画家の山福朱実さんが歌ってくれることの、このうえないよろこび。 歌:山福朱実 曲・演奏:末森樹と…

養蚕講  メモ

養蚕講というのが、昭和の頃までは、養蚕農家の間で行われていたのだそうだ。 地域の養蚕農家が集まって、崇拝する蚕の神を祀り、豊蚕を祈願し、その蚕神の祀られている神社・寺院に詣でるのだという。 養蚕講は、「蚕日待ち」「おしらさま講」「蚕影山」と…

菅江真澄の旅

天明5年(1785)秋。旧暦の8月。津軽の外ヶ浜あたりを菅江真澄は旅をする。 それは天明の大飢饉のさなかのことで、鰺ヶ沢の港から内陸へと進み、床前の野原に差し掛かると、そこには餓死者の白骨がうず高くつまれていた。 旧暦8月15日の日記。笛、つづみ…

その言葉は白骨の歌えるものか?

これは2015年11月6日に、熊本学園大学の遠藤隆久先生の「法学入門」の講義にて、ゲストスピーカーとして話したことのほんの一部です。 生きてゆくための言葉を手放さないために。 二〇一〇年三月、済州島を初めて旅したとき、じゃりじゃりじゃり、私…

 福島県郡山市日和田町 蛇骨地蔵堂

蛇骨地蔵堂は養老7年(712)に松浦佐世姫が開山したと伝えられる。 説経『まつら長者』のさよ姫だ。 蛇骨地蔵堂のいわれは以下の通り。日和田の領主であった浅香左衛門尉忠繁には、あやめ姫という美しい娘があった。家臣の安積玄蕃が求婚したが、忠繁に拒…

そういえば、奄美にも百合若伝説。

島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』に収められた「奄美のユリワカ」。奄美のユリワカの名前の由来は以下のとおり。子供のない夫婦が国中のオミヤに子宝をお願いして歩いた末に、オミヤのボウサン(奄美では神仏混淆)に、オミヤの先の、たきの上のユリのえ花…

 新潟県北蒲原郡聖籠町 聖籠山宝積院 百合若伝説

面白いなぁ、 幸若舞や古説経の「百合若大臣」の物語が、新潟の聖篭にも。 10月24日に聖篭町を訪れて、百合若大臣の愛鷹緑丸の立派な供養塔を見た。 幸若舞でも、古説経でも、百合若は蒙古との戦に豊後(=大分)から出陣して、九州の玄界島に置き去りにされ…

「歎異抄」後序にこうある。

聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ、と御述懐さふらひしことを、いままた案ずるに、善…

 なぜ「語り」なのか、ということを想いつつ。

保坂さんの本を読むほどに、私はなにかどこかにおそろしく駆り立てられる。以下、『遠い触覚』より。「(それら)歴史はフィクションだ。フィクションとして最高ランクのフィクションと言える、それらのフィクションを相対化するたえには、フィクションの起…

 「オシラ神の発見」遠野市立博物館第41回特別展のパンフを引っ張り出した。

去年の今頃は、遠野や陸前高田や津軽や恐山あたりをうろうろしていたのである。 そのとき買い込んでパラパラとしてしか見ていなかった「オシラ神の発見」をしっかりと読み直した。オシラ神の祭主・祀り手は誰か? についての概略が書かれていて、これがいろ…

 新潟日報にて2015年4月より連載中

津和野編、四天王寺編と10回分を、下記サイトにアップしています。「あんじゅあんじゅさまよい安寿」現在は、上越高田を巡り歩いて、24回まで連載は進行中。挿絵は、前回の連載「カシワザキ」@新潟日報 と同様、屋敷妙子です。これから佐渡、津軽、福島と巡…

 新しい本が出ます!

四六判上製 80頁 オールカラー 本体価格2400円 羽鳥書店 2015年9月中旬刊行 挿画:山福朱実、屋敷妙子、早川純子、塩川いづみ〈はじまり〉を生きる者たちの歌。済州島から、サハリン、台湾、八重山へ―― 路傍の声に耳傾け、旅人がめぐる3つの〈はじまり〉「あ…

佐渡鉱山と流民

まずは余談から。佐渡と八王子を結ぶ線。 鉱山都市としての佐渡・相川の都市づくり(1603〜)に着手した大久保長安は、もとは甲州出身の猿楽師。家康により八王子に所領を与えられ、八王子千人同心を創設した人物でもある。 八王子も、佐渡も、幕府直轄領。…

『佐渡 伝承と風土』(磯部欣也 創元社)より。

佐渡・鹿野浦の「安寿塚」をめぐって。その歴史的背景を探るならば……。 鹿野裏に「安寿と厨子王」の安寿が祀られているとすれば、安寿は佐渡に生きて渡ってきたということが前提になる。数ある「山椒太夫」の物語の中で、安寿が生きて佐渡に渡ってきて、佐渡…

そして、はじまりの宴!!

『はじまりはじまりはじまり』 刊行記念の宴 @熊本・橙書店 〜歌います、語ります、たびのはじまり〜 ------------------------------------------------------------------------------------- 日時 9月9日(水) 18:30開場 19:00開演 料金 2…

『はじまりはじまりはじまり』 原画展

2015年 9月1日(火)〜10日(木) 於・熊本・新市街café orange 「あいのはじまり」挿絵より 屋敷妙子 姜信子著 『はじまりはじまりはじまり』(羽鳥書店)の刊行を記念して 3つのはじまりの物語を描いた原画を展示&販売! 作家 塩川いづみ 早川純子 屋敷…

テンポウ語りとくれば、「五色軍談」

「五色軍談」というのは、「チョンガレ」の中越地方における異称。幕末から近代に一世を風靡。もとを正せば、説経祭文だという。これを小沢昭一の『日本の放浪芸』で聴いてみたのだが、薩摩若太夫の興した説経祭文に比べると、野太く、素朴。三味線の響きは…

テンポウ語り まとめ

鈴木昭英先生曰く、「テンポウ語りは、盲人座頭の手習い初めの滑稽諧謔に富んだ短い語りもの」「本格語りものの合いの狂言として早口で語られたこともあろうが、祝福語りものの要素が強く」「座頭の正月門付け風俗として諸書に述べられ、またこの遺習が明治…

テンポウ語りと、明治の世の替え歌

伝えられている「テンポウ語り」に、こんなものがあった。 ゆうべー大きな夢を見たー ゆうべ大きな夢を見たー 駿河の富士山荷縄でしょってー 奈良の大仏さま懐へ入れてー 軍艦二そうを下駄にはき、 電信柱をステッキについてー 通りかかった酒屋の店でー 七…

長岡でテンポウ語りについて聞く。

旅というのは、きちんと目と耳を見開いて、モノ・コト・ヒトとの出会いを大切に歩いていけば、縁と縁とがつながり結ばれて行って、思わぬ道を拓いていくもの。今日の出会いが、明日の出会いを呼び、今日見聞きしたものが、明日の旅の道しるべ。 旅の極意は、…

瞽女唄のあるところ、祭文あり!

神保町の古書店キントト文庫で『瞽女ー盲目の旅芸人』(斎藤真一 日本放送出版協会 昭和47年)を入手。 4月の上越の「山椒太夫」をめぐる旅を思い起こしながら、ぱらぱらと見ている。 上越の直江津から糸魚川方面へと旅する瞽女達の旅の道を画家斎藤真一はた…

阿国と佐渡

出雲の阿国が一六〇三年に京都に姿を現わす前に、佐渡ヶ島に下向していたという説がある。(慶長見聞録案紙)。一五九〇年代末に既に京都で名を知られていた阿国の、一六〇三年までの数年間の空白は、佐渡のような場所への地方巡業ゆえのことと考えると大い…

 いつの世も都市生活は、歌謡を求める。

と、『歌舞伎以前』(岩波新書)の「黄金世界」の章で、林屋辰三郎は、安土桃山黄金世界の繁栄の中、堺の町衆に象徴される武家や公家の世界とは異なる、人間的欲求を自由に放縦に歌う歌謡が現れたと語る。たとえば、町衆の愛唱歌とされる「閑吟集」(1518年…

 直江の浦の沖合の波を想う

4月に上越を旅したとき、なにより印象的だったのは、北陸道から佐渡の方へと眺めやる時の海の風景だった。 風が吹けば、東から、西から、白く荒ぶる波がぶつかり合い、砕け散る。 四海波、と呼ばれる風景。この風景が念頭にあったのだろうか。 説経節「山椒…

6月15日より八王子市民となりました。

つい最近まで、横浜で生まれ育った私にとっては、八王子ははるか彼方の遠い土地だったのだが、なぜだかさまざまな因縁が重なって、気がつけば八王子近辺で家を探し始め、あれよあれよという間に八王子駅徒歩圏内の丘の上に新居を構えることに。 八王子は桑の…

 うば竹の祟り

高田瞽女の「山椒太夫 舟別れの段」の最後は、直江の津で安寿・厨子王・母御前・うば竹をかどわかして、丹後由良(安寿・厨子王)と佐渡(母御前・うば竹)へと売りとばした山岡太夫への復讐譚となる。入水したうば竹が大蛇となって、海上を舟で逃げる山岡を…

 直江津の加藤亭

昭和56年発行の『古老が語る直江津の昔』(北越出版)の中のエピソード。その昔、直江津の寄席と言えば、加藤亭。 たった一つのこの寄席では「うかれ節」をやっていて、みんな聞きに行ったものだ、とひとりが言えば、もうひとりが、いやいや、うかれ節だけ…

 妙国寺とは、説経「さんせう太夫」の原曲とされる能「婆相天」ゆかりの寺という……。

寺の由緒書きによれば、寛永元年(1624)に建立。 祀られているのは、「感応稲荷」「胞姫尊天(子授安産)」「山岡神霊位(事業繁栄・除病延寿)」。この「山岡神霊位」として妙国事に祀られているのが、「婆相天」に登場する直江津の問の左衛門ではない…