2014-01-01から1年間の記事一覧

今年もよく旅をした。

年の初めから、詩人谺雄二の声を千年先まで飛ばそうと、谺さんに会いに、本を作りに草津の栗生楽泉園に通った。5月11日に谺さんが逝ってしまう前に、本は滑り込みで間に合った。谺さんの「いのちの証」。『死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集』(みすず…

「ひとつの日本」と「コメ」と東北と メモ

ひきつづき『東北学/もうひとつの東北』。赤坂さんが新たな民俗学を構想するとき、そこには稲作以前、「コメ」にとらわれる前の日本がある。 近代日本のアイデンティティを形作ってゆく過程で「コメ」に収斂されたナショナルな風景、そこから見えなくされた…

時代と拮抗する言葉と方法を・・・。『東北学/もうひとつの東北』

赤坂憲雄『東北学/もうひとつの東北』を読んでいる。遅れてきた民俗学徒を自認する赤坂さんは、いまあらたな民俗学を立ち上げることの可能性を語る。 柳田民俗学を今の時代に批判することはたやすい。しかし、批判に終始して、柳田民俗学を超えるあらたな学…

勝手に相聞歌 その1 金子光晴と

「もう一篇の詩」 金子光晴 (『人間の悲劇』より)恋人よ。 たうたう僕は あなたのうんこになりました。そして狭い糞壺のなかで ほかのうんこといっしょに 蠅がうみつけた幼虫どもに くすぐられてゐる。あなたにのこりなく消化され、 あなたの滓になって あ…

佐渡の旅。 11月1日〜3日。メモ。。

11月1日朝5時過ぎに家を出て、新潟をめざした。船は9時過ぎに出航。雨模様。風景が潤んでいる。岸壁を離れる船の上をかもめが舞う。 (でも、かもめに見送られて……、などというのどかなものではなく、デッキから投げ与えられるお菓子を彼らは群れなして旋…

佐渡への旅の支度。 メモ。

ちょっと手間のかかる校閲作業を終えて、一休み。 さあ、佐渡の安寿伝説を訪ねる旅の準備を始めよう。森鴎外の「山椒大夫」のもとになっている説経節「さんせう太夫」は、人形浄瑠璃、瞽女唄、イタコのお岩木様一代記とさまざまに語られ歌われ日本各地にさま…

直江津 姥竹、山椒大夫に関わるメモ。

乳母を祭った乳母嶽明神は居多神社(五智六)北参道入口に、 山椒太夫の墓と称するものが妙国寺にある(寺町三)。所在地:妙国寺 上越市寺町3丁目8−33出典: 『北國街道研究 7号』

メモ  物語の力

物語が物語として力を持つ、 物語が口から口へ、声から声へ、語り語られしてゆく、その力を想う。語られる、いじられる、壊される、いいように扱われる、そして無数の似たような似てないような物語を吐き出す、 そういうものとしての物語の力を想う。人間が…

昨日10月13日は城下町高田(新潟)の有形文化財の町家にて、

高田瞽女の祭文松坂『山椒太夫』全段を聴いた。 演者は瞽女唄継承者の萱森直子さん。 最後の長岡瞽女の小林ハルさんと最後の高田瞽女杉本シズさんをを師匠に、瞽女のようにひたすら耳から覚えて、歌い語るときはじっと目をつぶって、越後の風雪にギザギザ削…

夢を見ました。

逃げても逃げても追いかけてくる影だけの男に追われて、とうとう見知らぬ海辺の町へと落ちていきました。 小さな町でした。海辺はにぎわっていました。砂浜ではなく、護岸に守られた浅い海でした。 ところどころなめらかな岩がゆるやかに突きだしている穏や…

「地獄は極楽の出店」と歌うのは、

説経節「信徳丸」の浄瑠璃版「摂州合邦辻」。 このお話はおどろおどろしくて、継子の俊徳丸に恋慕して、叶わぬ恋から生まれでる憎しみゆえに、俊徳丸に毒を盛って癩病にする継母玉手御前が登場する。 ところが、癩病にしたのは、実はお家騒動から俊徳丸を守…

『続さんせう太夫考』(岩崎武夫 平凡社選書)

を読んでいる。著者岩崎武夫によれば、前作『さんせう太夫考』が説経の背景にある「聖」なるものを追求したものならば、これは「俗」なるものの側からのアプローチで、説経を読みなおそうという試み。 物語とともに生きる人間たちに寄り添ったこのアプローチ…

★詩、ひとつ。

[[「晩秋」 塔和子]] あなたは 私のために何をしてくれたか 心のうつろを埋めてもくれなかった 心の寒さもひきむしってはくれなかった けれども居ることによって 安らいをもたらせてくれた 大地の上に共に居るという 安心感を与えてくれた 私はあなたのため…

元禄九(1696)年五月二十三日の弘前藩庁「国日記」によれば、

「南部では、人が入用なら津軽の三庄太夫に頼めばよいと言われている」。イタコが語ったお岩木様の神・安寿が姫の物語『お岩木様一代記』の生成を考えるにあたって、どうやら、この元禄九年という数字は、かなり重要な年のようである。「国日記」に記された…

2014年9月7日、猿賀神社例大祭の日に、神社本殿前に翻っていた幟には、「猿賀深沙(さるかじんじゃ)大権現」。 『安寿 お岩木様一代記奇譚』のうちの「猿賀神社の片目魚伝承」にこんなことが書かれている。 「いま猿賀神社の主神は上毛野君田道命(か…

猿賀神社 宵宮のイタコ

かつては猿賀様の宵宮には、大勢のイタコがやってきて、 人々は列をなしてイタコに口寄せをお願いしたのだという。 その様子が、1970年代に猿賀神社の宵宮を訪れた小沢昭一によって記録されている。今年の宵宮では、イタコの小屋はただ一つ。 もう2、3年前か…

2014年9月7日 猿賀神社 宵宮 

午前中は県内各地域からの奉納の獅子踊り。続々と各組が猿賀神社目指してやってくる。 参道をお囃子にのって先導の道化の「可笑し(おかし)」が三匹の獅子を引き連れてゆく。 境内との境の鳥居前に<可笑し>と獅子がひざまずき、 神にご挨拶申し上げてから…

イタコのお岩木様一代記に語られる

イタコの「お岩木様一代記」に語られる岩木山のご神体、あんじゅが姫を訪ねる旅に出た。 「お岩木様一代記」では、苦難の旅の末にあんじゅが姫は岩木山の山の神となるのである。 そして、付け足しのように、兄の「つそう丸(厨子王)」は駿河の富士山の神に、姉…

浪曲×パンソリ=声の力!!

11月15日東京・亀戸・カメリアホールに、かもめ組(玉川奈々福、安聖民、姜信子)降り立ちます! 声ひとつを杖に旅する放浪かもめです。道なき道をゆく語りの声、歌の声、悲しみの声、喜びの声、祈りの声……。 半島と列島を行き交う新たな道も、ほら。能書き…

ときどき私は中也になる。

汚れちまった悲しみに、汚れちまった悲しみに、と繰り返し呟く夜もあるのです。汚れっちまった悲しみは なにのぞむなくねがうなく 汚れっちまった悲しみは 懈怠のうちに死を夢む汚れっちまった悲しみに いたいたしくも怖気づき 汚れっちまった悲しみに なす…

山椒大夫の旅 越後編

8月2日、長岡。今夜は大花火。1945年8月1日の長岡空襲で亡くなった方々の鎮魂のために、1946年8月に第一回の長岡復興祭が催され、1947年から戦争で中断されていた花火の打ち上げが鎮魂の祈りを込めて始まったのだという。さらに2004年10月の中越地震か…

夏は九州であれこれします。

玉川奈々福 夏の九州爆走ツアー!! のお知らせ夏の九州ツアー その1! 8月22日(金) 文学魔窟、<熊本・橙書店>!橙大学 2014 第2回 「かたりかたりかたり」 ―なみよみと(浪読)とろうきょく(浪曲)と与太ばなしの夜― とにかくすさまじくほと…

「わたしは居心地がよいと思う場所には決していたことがなかった。(・・・・・・)さまざまな理由で、恥辱がわたしの全人生を覆い尽くしている」 (デュラス『愛と死、そして生活』)

「殺したい、という欲望を、わたしは一生もち続けている。はっきり言う。わたしがもち続けているもののなかでも、最ももち続けているのはそれだ」(『アルテルナティヴ・テアトラル』誌より)「物事を学んだとたんに、あるいはそれらを見たとたんに、早くも…

メモ。『ここのなかの何処かへ』を読みつつ。

「それはパフォーマンスと呼ばれる」と、トリン・T・ミンハは語りだす。 「演劇、舞踊、マイム、アート、建築、音楽、映画、ビデオ、その他。さまざまな用語が結びつき、交わり合う場から生み出されるものは、名づけという営みそのものに挑戦し続ける」「い…

男の名はヒロシマ、女の名はヌベール」

メモ。『24時間の情事』(監督アラン・レネ 脚本マルグリット・デュラス)を観た。 原作&脚本のデュラスは言う。「わたしは思い出す、一九四五年八月六日のことを。わたしと夫はアヌシー湖に近い収容所の家にいた。ヒロシマの原爆を報じる新聞の見出しを…

獣になる

「獣」である自分自身をめぐる思考をまとめるためのメモ。柳致環「頌歌」より追はれたるカインの如く 彼等が負へる悲しみは久しかりせど 如何ぞ この艱難を 獣となりても堪えざらむ※「獣」は「けだもの」と読む。「わたしの歴史の解釈とかれらの解釈が一致し…

残傷の音

『残傷の音』(李静和編 岩波書店 2009)を読もうとして、 その前にまず付録のDVDを見た。 「アジア・政治・アート」プロジェクトに参加した7人のアーティストの パーフォーマンス、あるいは自作を語る映像。声にならないもの、言葉にならないもの、記憶の形…

詩人谺雄二との約束

6月21日 東京で催された 全国ハンセン病療養所入所者協議会会長の神美知宏(こう・みちひろ)さんと、詩人谺雄二を偲ぶ会にて、谺さんの思い出を語りました。 以下、その草稿です。 - 谺雄二さんとの約束。私が谺さんと初めて出会ったのは、2008年3月3…

『地図のない道』

メモ。 ユダヤ人・ゲットーをめぐりあるく思索。須賀敦子『地図のない道』より。 - 「地図のない道」 その一 ゲットの広場『一九四三年、十月十六日』(ローマのゲットからユダヤ人が連行された日)。私がゲットに惹かれるようになったのには他にも理由があ…

ある家族の会話

ナタリア・ギンズブルグ『ある家族の会話』 まえがきからの抜粋。この本に出てくる場所、出来事、人物はすべて現実に存在したものである。架空のものはまったくない。 人名もそのまま用いた。この本を書くにあたり、私は空想の介入をまったく許容できなかっ…