サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』  メモ その2

 

2009年3月に東京大学で開催されたサラ・ロイと徐京植の対談に先立ち、徐京植がサラ・ロイの「ホロコーストとともに生きる」へのレストランが語られた。

 

そこで徐京植は、

世に流通する「ユダヤ人対アラブ人」「ユダヤ人対イスラム教」という単純で暴力的な対立構造は虚偽であり、「占領と被占領」こそが問題の本質なのだというエドワード・サイードパレスチナ人側)による根本的な批判を語り、その抵抗の思想をサラ・ロイ(ユダヤ人側)と分かち合う。

そして、われらは「場ちがい」で「よそ者」で「孤独」なのだと。

 

イードは孤独でした。米国でも多くの理解者を得ない彼は、実はパレスチナにおいても多くの理解者を得ていません。そのどちらにおいても、異なった意味でではありますが、彼は「場ちがい」であり、「よそ者」なのです。

 彼と同じように孤独な者、すなわち複数の共同体にまたがる人生を誠実に生きようと努め、そのことのためにどの共同体においても多くの理解者を得ることができない者は、この世界に少なくありませんが、今のところ、その者たちのそれぞれが、それぞれの場所で「場ちがい」であり、孤独なのです。その「場ちがい」な者たちは互いの姿をはるか遠くに認め、互いに出会おうとしていますが、しかし、互いを分断し隔て続ける壁はなお高く鞏固です。

 

サラ・ロイは占領について、そしてホロコーストについて、こう語る。

占領とは一つの民族が他の民族によって支配され、剥奪されるということだ。彼らの財産が破壊され、彼らの魂が破壊されることだ。占領がその核心において目指すのは、パレスチナ人たちが自分たちの存在を決定する権利、自分自身の家で日常生活を送る権利を否定することであり、彼らの人間性をお否定し去ることだ。占領とは辱めであり、絶望である。(中略)

私にとってホロコーストの教訓とはつねに、特殊な(ユダヤ人の)問題であると同時に、普遍的な問題だった。

 ホロコーストの記憶をナショナルな記憶として持つ国家が、もう一つのホロコーストパレスチナの民に対して行使することの暴力性。

それを見つめる複眼の眼差しがどれほど重要であることか。

「場ちがい」で「よそ者」で「孤独」な者たちが、特殊と普遍を織りあげて紡ぎだす「新たな普遍」を分かち合い、つながることが、どれだけ重要であることか。

私たちが殺さず、殺されずに、生きてゆくために。

 サイードは、パレスチナの占領を、朝鮮半島の占領(植民地支配)へと接続する。

(1967年第三次中東戦争以来のイスラエルによる西岸地区とガザ地区の占領は)20世紀と21世紀におけるもっとも長い入植・軍事占領なのですよ。それ以前に最長であったのは、1910年から1945年にかけての日本による朝鮮半島占領です。イスラエルによる占領はいよいよ最長記録に届こうとしています。(『文化と抵抗』より)

 そのことを徐京植はきわめて重要なこととして語る。そして、問う。朝鮮の側からパレスチナへの接続は試みられているのかと。朝鮮の植民地支配もまた、固有の経験として語られるだけでなく、<植民地主義><占領>という普遍の概念のもとで語りなおされ、外に向かって開いていかねばならないことであるはずなのだから。

 1948年ナクバ。

 1948年朝鮮半島に二つの国家誕生。済州4・3によるジェノサイド。

 徹底的に日本による占領の、植民地支配の理不尽を経験したはずの朝鮮半島に、米国の傘の下、占領と植民地主義を体現するような権力志向で暴力的な極右国家が誕生し、国家に抗する者たちを躊躇なく殺していったことの捻れもまた、イスラエルという国家のすさまじい捻れに通じあう。

 

いのちの場所を占領する者ども、そこから、みんな出ていけ!

(これは、アルゼンチンの人民蜂起において放たれた声)