抜き書き その3 (作業中)

第7章 みんなは天使に変身ね

 

 

ユダヤ人問題に関しては、それが「美談」であれ「醜聞」であれ、国民的な記憶からことごとく排除してしまおうとする傾向が戦後のポーランドでは強」い。

 

ドイツ軍占領下のポーランド社会に蔓延していた「密告熱」は、後のポーランド社会がひた隠しに隠そうとした国民的記憶のなかの「恥部」のひとつであった。

 

ドイツ軍占領下のワルシャワが「沈没船」だとするなら、「沈んでゆく舟そすてて救命ボートに逃れる」ことに躍起なポーランド人のなかには(中略)だれもかれもが含まれてしまう。

 

ホロコーストを生きのびた、とくに「女性サバイバー」が総じて過去を話したがらないのは、彼女らがつねに「性暴力」や「性的搾取」の危険にさらされ、薄氷を踏むような日常を強いられていたからであり、彼女らがそれにどれだけ傷ついたか、そして傷つかないためにどのおうな心的機制をはたらかせたか、そのからくりまで彼女らに語らせることは、これもまた暴力である。

 

この事態に、非ユダヤ人作家はどう向き合ったのか?

 

「彼らの苦しみをすぐさま悲劇仕立てに変えるのは、礼を失すると思えた。」詩人ミウォシュ

 

「おまえたちも一人残らず犬ころのようにくたばるがいい!(中略)わたしたちのように焼き殺されるがいい……」(アンジェイェフスキ『聖週間』1945)

 

おそらく人間がなんらかの「モラル」を背負うには、それを背負わせる何者か(=他者)が発する「棘」のような合図やことばが必要なのだ。

(それは耳にやきついて死ぬまで離れない、死にゆく者の叫びであったりする)

 

 

ユダヤ系の作家であれば、もっと遠まわしに言語化するはずのポーランド人に対するアンビバレントな感情を、アンジェイェフスキは単刀直入なイレーナのことばのなかに凝縮させた。

 

 

抜き書き その2(作業中)

第3章 十人の敵でも与えられないほどの害

 

サバイバーの性差による経験の質の問題。

ナチズムとポルノグラフィ産業の共犯性

――ヒトラーの「反ユダヤ主義」が誇大に宣伝した「ユダヤ人の性欲」

――イスラエルにおいてさえ「ポルノグラフィ」が一個の産業と化している現実

   (強姦、DVの多発。その大半が、ユダヤ人大虐殺を題材にしている。

男性中心主義世界における性の問題、とりわけ女「性」の。

 

 

つまり、ユダヤ男たちの自慰の楽しみのために、ユダヤ女を大虐殺の犠牲者として性的刺激物にしたてているのである。(アンドレア・ドウォーキン『女たちの生と死』1998

 

I・B・シンガー『敵たち、ある愛の物語』(1966)

ジョージ・スタイナー『言語と沈黙』1068 そのなかのエッセイ「夜の言葉」

アンドレア・ドウォーキン『ポルノグラフィ』1981

 

(ジョージ・スタイナーは「夜の言葉」1968に)「その登場人物に、衣装を脱げ、密通せよ、これこれの性的倒錯を行なえとどなりつける」ような小説を読むと、「あのナチの親衛隊の監視員も生身の女や男の行列に対して同じような態度をとった」ことを思い出さずにはいられないと書いている。

 

「性的生活の規格化は全体主義的な政策に付随して起こってくる」のであり、それは「偶然ではない」(「夜の言葉」)

 

「(ヒトラーによって)男女のユダヤ人は共に、性欲面では獣だとして特徴づけられた(中略)穢れないアーリア人女性がユダヤ男に強姦されないようにするために、また、アーリア人精子が淫乱なユダヤ女に誘惑されて、合いの子を産むことに誤ってつかわれないようにするため、性的な獣は服従させねばならない」

 

「(ヒトラー反ユダヤ主義思想の文法がそのまま男性中心主義的な世界のなかにも生きていて、男の)力を正当化し、そしてそれを不可視化する性的イデオロギーは、女は形而上的な犠牲者であるという理由をもって(中略)すべての女に適用される」(アンドレア・ドウォーキン

 

 

第4章 抵抗するために生き、生きるために抵抗する

 

何が抵抗なのか? という問題。

 

「私たちの収容所生活のすべては「抵抗」ということばであらわすことができた。」

「物を食べて体を弱らせないこと――これもひとつの抵抗である。私たちは抵抗するために生き、生きるために抵抗した」 (オルガ・レンギェル『向こう側の思い出』1946)

 

「彼女は、収容所内での「抵抗」なるもののあり方を可能なかぎり幅広く描き出そうとするのである。」 西成彦

 

贅沢品の隠し持つことも「小さな抵抗」

 

そこが収容所のなかではないかのようにして時間を過ごす。

 

強制収容所における幸せ」なるものは、瀬戸際に追いつめられた囚人たちにとって最後の生命線であり、それもまた「抵抗」のひとつだった。

 

少なくとも「囚人間の人間的な関係」を死守しようとしたことを女性サバイバーはことさらに描こうとした。

 

そして、プリーモ・レーヴィ

「回教徒(ムーゼルマン)、あるいは「人間の尊厳」をめぐって。

どんな環境にあっても人間の尊厳を失うまいとする、そういう意味での「思想体系」において、尊厳を失った存在とされる「回教徒」は「人間以下」である。が、レーヴィはそれもまら「抵抗」として捉える。「武装蜂起」と同様に。

 

ただ、「武装蜂起」と「回教徒」の間に、女性サバイバーが描いたような「小さな抵抗」がありえたことが、レーヴィにはみえていなかった。  西成彦

 

男たちの間には、女性たちの「シスターフッド」のような、「ブラザーフッド」が成立しにくいのか。あっても盟友関係にとどまるのか。  西成彦の問い。

 

「小さな抵抗」は、「小さな共同体」があってこそのものなのだということ。

これが大事。

 

第5章 見られるものなら見てみるがいい

 

「ドイツ兵は、死体のことを、“フィグーレン”」と「呼べと[彼らに]強制した」

そもそも(SHOAHの証言者の)ザイドルが「フィグーレン」の説明に用いたヘブライ語は『人形たちの家』における「人形」と同じ「ブバー」だった。

 

※『人形たちの家』 建国後間もないイスラエルで、国語ヘブライ語で書かれたホロコースト小説。ナチスの「慰安所制度」という暴力装置に巻き込まれたユダヤ人少女の物語。

 

小説『人形の家』のなかで強制収容所の「性奴隷」がことさら「人形」の名で呼ばれなければならなかったのは、収容所のドイツ人が常用していた隠語をなぞるためだけではなかった

「人間」から「人権」や「尊厳」や「人格」をはぎとって、たんなる「人形」に変えてしまう巨大な装置であったことを明らかにするためになされたことだった。

 

それは言うなれば「ホロコースト」自体がみずからを象徴する概念として産みだした自己言及的な言語使用の一例なのである。  ←ここ大事。

 

 

第6章 女はゲットーと関係を結んで

 

ゲットーに存在した「すきま」(=たとえば、私的関係を取り結ぶ、親密な空間としての)を文学はどう描くか、という問題。

 

かならずしも「被害体験」とは定義しづらい不透明な経験、いうなれば過去の「すきま」のようなものを可視化し、その記憶を「自己救済」や「他者の免罪」にすりかえないための手段として、文学があるということ。

 

ワルシャワ・ゲットー:時間の経過とともに「絶滅収容所」へ移送される前の「家畜置場」となり、1943年春のゲットー蜂起にあたっては文字どおり「最終決戦」の場となり、「飢えと疫病」のために住人がいつ死んでもおかしくはない「処刑場」と化していた。

 

しかし、それだけではない。

ゲットーは「繁殖地」でもあった。

アウシュビッツですら申し訳程度の「治外法権」、なけなしの「私生活」が成立し、そうした「すきま」を利用して囚人たちの「抵抗」が展開されていた。その意味では「ユダヤ人地区」の場合がなおさらそうだった。 西成彦

 

ワルシャワ・ゲットーには「浜辺」ととして知られる日光浴スペースがあった。

そこは、「楽天家たちのたんなる歓楽場などではなかった。それこそゲットーで生きることの不安や恐怖をひととひとが共有しあい、しかもそれが親密な裸のつきあいと地続きになっている、そのような場所だった。」

 

このようなワルシャワ・ゲットーの午後をなんらかの「救い」としてではなく、まさに「圧制」を敷く側が塞ぐ気になればいつでも塞げたはずなのに塞ごうとしないで済ませた「すきま」として、あるがまま、いや、ありえたがままに描くこと。

 

 

 

 

 

抜き書き その1

 

<詩の始まり> 詩人ジェローム・ロゼンバーグ

 

私がトレブリンカにおいてはじめて耳に聞こえてきた詩のいくつかは私がなんのために詩を書くのかという問いに対するもっとも明快なメッセージだった。アウシュヴィッツ後に詩を書くことが可能か可能でないか、そうするべきかべきでないというアドルノたちの問いに対しての答えがそこにある。(中略)詩の起源とは何か。何もかもご破算にしたいという気持ちがないわけではないけれど、他者の声を見究め、他者が残したまま泥に塗れている詩の破片を見究めること、それが詩の始まりなのだ。

 

 

ホロコーストを素材として書くということ>  西成彦

 

ホロコースト」を素材にして書く筆者たちの書記行為は「(今は亡き人びとの)フルブンが私を通して語ること」に身をまかせることを意味し、「他者が残したまま泥に塗れている詩の破片を見究める」というところに力点を置く考古学的な作業であるということだ。そしてそうした表現者の営みは、殺戮場としか名づけえぬ場所からの「よびかけ」に応じる営みでもある。

 

※フルブン  イディッシュ語で「災厄」の意

 

第1章 歌だけは無事生き存らえて

<歌> ポーランドのロマン派詩人 アダム・ミツキェーヴィチ

 

炎の歯は 歴史の絵巻物を嚙み砕きもしましょう/宝物ならば 武器を佩びた侵略者のの略奪を受けたりもしましょう/歌だけは無事生き存らえて 人々の群の間を駆けめぐるのです

 

その歌が問題。

『ゲットーおよび収容所歌曲集』(1948)をめぐって。

ポーランドでの出版は断念され、ニューヨークで出版。

 

「そもそも歌や語りの伝承とは、名もなき民の「遺言」の継承でなくてなんだったろうか」西成彦

 

「はたして極限状態での人間の行動を、どこまでも「抵抗」の範疇でとらえるとして、それにどのような意味があるのだろうか」西成彦

 

⇑この言葉は、収容所内の「灰色の領域」を意識して発せられたもの。

 

灰色の領域=「国家社会主義のような地獄の体制は、恐ろしいほどの腐敗の力を及ぼすのであり、それから身を守るのは難しい。それは犠牲者を堕落させ、体制に同化させる。なぜなら大小の共犯意識が必要だからだ」(プリーモ・レーヴィ

 

音楽もまた「灰色の領域」をささえる要素の一つでありえたのである。

 

一方、戦後ドイツでは、「フォークソング反戦歌」としての「イディッシュ歌謡」が「発見」される。 たとえば「ドナドナ」のような。

 

しかし、「ドナドナ」が譜面を持つイディッシュ歌謡だとすれば、収容所や難民キャンプで聞きおぼえた歌をノートに取ったり、暗記して、文字どおり「生き存らえさせた」人々がいた。譜面も著作権もない歌う者それぞれのヴァージョンのあるホロコースト歌謡を。(これはとても重要なこと)

 

ホロコースト歌謡の中には、ソ連様式(軍歌)、伝統的ユダヤ音楽、タンゴがある。

(これも当然のことでしょう。その当時、多くの人が耳にして馴染んでいたメロディが、ホロコースト歌謡の旋律になることは)

 

ポーランド歌謡がそのままホロコースト歌謡として歌われることもある。

 

ソ連軍の軍歌が「断じて言うな」という替え歌になってゲットー戦士の士気を高めるのに貢献したように、ポーランドのはやり歌がへウムノ収容所の周囲に生きている人びと(そこにはドイツ人兵士やドイツ人の地域住民も含まれた)、死んでいこうとしている人びとの「郷愁」に訴えかけた。音楽はさまざまな分断線をこえて人と人とを

つなぎあわせるのだ。

 

とはいえ、ポーランドにおけるユダヤ人の記憶に関する「歴史修正主義」は根強い。

戦時中、ユダヤ人を救ったというような行為がけっしてポーランドでは美談にならないこと、むしろ疎まれるという事実がある。(これも重要

 

 

第2章 彼女たちに無用の苦しみを与えてはならない

 

 

ホロコーストを言葉にすることをめぐって> 詩人チェスワフ・ミウォシュ

 

調子のよい文句をしゃべるよりは、溢れる感情で吃ることがときにはよいこともある。しゃべりすぎるかもしれないようなときに、われわれを押しとどめる内なる声は懸命なのだ。 

 

戦争が終わってしまえば、女の言葉を信じたり、レイプされた女性の特殊な運命を重視したりすることには、もはや何の政治的必要性もなくなってしまった。(ブラウンミュラー『レイプ』1975)

 

 

(のちにフェイクと判明した、ナチスが学校を売春宿に変えようとしていると聞いて集団自殺したポーランドクラクフヤコブの家女学院の93人の生徒の物語が)これまで人びとの心をとらえてきたのは、男の残虐行為ではなく、純潔のまま美しく死んでいった処女殉教者のほうだった。(同上)

 

「女性として「ホロコースト」を生きのびるということは、このような男たちの不条理な葛藤、自家撞着と気まぐれの前にひとりひとりが「おとり」として差し出され、「殺害」されるか「自決」に向かうかでないかぎりは「レイプ」を受けたり、「性的奉仕」を強要されたり、どう転んでも「屈辱的な過去」を背負って汚名とともにしか生きのびてはいかれなくなっていくということなのである。」西成彦

 

ホロコースト・サバイバーを襲う精神的抑圧>

★純潔の死という神話の暴力……

★同胞を見殺しにした罪意識、わが子を手放したことへの罪意識

 

「「ホロコースト」が戦後ユダヤ人に課したのは、「戦争の犠牲者」であるはずの「サバイバー」にさえ猜疑心や嫌悪感が向かっていってしまうという社会の構造を、どう修復するかという難題にまっこうから立ち向かうことだった。」西成彦

 

どんな男もそうした苦境にある敬虔なユダヤ人女性を非難などしてはならない。彼女たちの受難は報われるべきものだと声を大にするのがわれわれの務めである。彼女たちに無用の苦しみをいささかでも与えてはならない。(ハリー・ゲルシュ『ユダヤ人の聖典』より ラビの言葉)

 

どうしてキリスト教徒の世界にユダヤ人の泥棒や、詐欺師、ぽん引き、売春婦について教えなくてはならないのか、みな殉教者として死んでしまったのに。その代わりに、どうして正しいユダヤ人について書かないのか(中略)時代が要求しているのは――と手紙の書き手たちは論じた――ユダヤ人が善人と聖者のみを強調することである。(I・B ・シンガー『さまよえる魂たち』より

 

※この章で西がホロコースト文学に託して語ろうとしているのは、ホロコーストサバイバーの中でも、共同体の抑圧によって口を塞がれている者たち、声を封じられている者たちがいるのだということ、その者たちの声を聞き取ることにこそ、ホロコースト文学、ひいては文学の意味を見いだしているのだということ。

善人、聖人でもなく、殉教者ということではない、そんな「正しき者」たちの範疇には収まらない、すき間に落ち込んだ者たちの存在(実はそのような者たちこそが大多数のはず)を直視し、彼らの声を聞き取ること。それは大きな力に翻弄される人間存在そのものを直視することになるはず。(基本的にこのような眼差し、アプローチで西のホロコースト文学をめぐる論議はつづいてゆく)

 

 

 

2022年12月19日 那覇 ちはや書房で出会った本 ラングストン・ヒューズ詩集

この2冊は、60年ほども前に、琉球大学国文科の学生で、文芸部に所属していた中里友豪さんの蔵書だったらしい。

中里さんは昨年4月17日に亡くなっている。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1307449.html

 

山之口貘賞受賞詩人で、演劇集団「創造」の結成に参加した中里友豪(なかざと・ゆうごう)=本名・仲里朝豪(ともひで)=さんが17日午後11時25分、心不全のため南風原町の病院で死去した。84歳。那覇市出身。自宅は那覇市楚辺。告別式は21日午後2時から2時45分、那覇市泉崎2の103の30、サンレー那覇紫雲閣で執り行われる。喪主は妻敏子(としこ)さん。

 中里さんは琉大国文学科卒業後、中学・高校教師になった。1961年、演劇集団「創造」の結成に参加し、「アンネの日記」などに出演。85年に詩誌「EKE」を設立。98年に詩集「遠い風」で第21回山之口貘賞を受けた。2000年に戯曲「越境者」で第4回沖縄市戯曲大賞を受賞した。代表作に「中里友豪詩集」「詩集 長いロスタイム」など。

 

ビボー叢書 『ニグロと河』(1958.2.15刊)

400部しか刊行されなかったうちの一冊。 琉大文芸部中里友豪の署名。

赤いラインを引いている詩、一編

ラングストン・ヒューズに最初に出会ったのは、ハンセン病療養所の詩人の書棚だった。

 

   

  

 

 

ビボー叢書『黒人街のシェイクスピア』(1962.2.10刊)

ラングストン・ヒューズの 詩に突き動かされて書き込んだショートショートを発見した。

   

 

 

 

[ショート・ショート・ショート]

 

オレ今、酒を飲んでいる

ト・アル・バー、とはいわぬ

「ア子」で確には「朝子」のバー

惚れた、ということは一度もなかったが、

オレ、ガッコのセンセーだもんだから

ここに来るもの皆んなしてオレと朝子ヒッツケて

楽しんでいたものだ

今、「ア子」はここにはいない

トーキョーにいる

トーキョーでベンキョーしている

そのことは問題ではなかった

―――――――――

ケンカしている

酔いつぶれた平良川の青年たちがたむろして、

おおよそ理由の理にもならないコトバにつまづいて

ケンカをおっぱじめたというわけだ

ガラにもなくオレが中に入る

入ってしまってシマッタと思ってもそこはそれ

なにせケンカだもんだから後に引くわけにはいかない

そこでいってやったのだ

――オマエラそんなにケンカしたいのか、そうか、なら外にあふれている極東の勇士マリンサマとやったらどうだ、その方が手ごたえがあるだろう

と.

するとこいつら急にシンとしていったのだ

――手ごたえがありすぎる.

テヤンデーいくじのない連中だ

こいつらもデレデレと出ていったのだが

出ていって後に隣の男、

そういえばこいつまるでオレみたいな顔をして

一ぶしじゅう

ことのなりゆきを見ていたっけ

その男がいうには

今出ていった男はC・I・Cらしいというのだ

オッ、こいつはウカツだったと思ってはみたが、

そこはそれ

こういうことにはなれっこになっているので別に気にならない

強いて気になることといえば

気にならないオレのシミだらけの倦怠が気になるのだ。

それにしてもくだんの男、

ミゴトな酔いっぷりではあった

 

1962.7.7

 

注)CIC    

Counter Intelligence Corpsの略語で、米軍が占領している敵地で諜報活動をする陸軍部隊である。日本語では諜報部隊、防諜部隊、対敵諜報部隊、対諜報部隊などと訳され、訳語は一定しない。
 敗戦後の日本を占領管理していた連合軍総司令部GHQ)には4つの部からなる参謀部(General Staff Section)があり、参謀2部(G2)が情報関係を担当していた。1948年当時、G2の総勢は約3000人、そのうち約2000人が民間情報局に属し、その中に約900人のCIC第441部隊が含まれていた。CICは日本全土を6つの管区に分け、県単位で分散駐留していた。日本政府をはじめ日本各地の行政機関や警察から情報を得る一方、情報協力者の通報によって、住民の動向や重要人物についての情報収集と監視に当った。占領当初、GHQが日本の非軍事化と民主化の政策を実行していた時期には、主として旧軍人や政財界、学術・教育機関、民間諸団体の旧指導者が情報収集と監視の対象とされた。

 

http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/kokubakotaro.html#kokubakotaro2003

 

http://www.fujishuppan.co.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/03/de11404b76f857caad4a3dd8934789ed.pdf

百年の夜の歌 (2022年11月13日 百年芸能祭 絶賛参加 「百年かもめデラックス@凱風館」バージョン。オープニングアクト) 

百年の夜の歌 (サックス:仲野麻紀 ソリ:安聖民  朗読:姜信子)

     

                         横浜から歩いてきました 疲れきつたからだです

                              そんなに おどろかさないでください 

                              朝鮮人になつちまいたい 気がします

                                 (折口信夫「砂けぶりⅡ」より)

 

 

그토록  놀래지 마세요 (そんなに驚かさないでください)

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요

 

深く暗い夜の道をあるいて 来ました。

疲れきつたからだです─。

もう百年もの間、歩きつづけてきました。

 

百年の夜の教えを、一つ。

みすぼらしい旅人が家の扉を叩いたなら、

けっして追い返してはならない、その名を問いただしてはならない。

 

見知らぬ旅人には 温かい食べ物と 柔らかい寝床を差し上げなさい、

旅人は草木の匂いをまとっていることもある、

ケモノの顔をしていることもある、

地を這う虫のようにやってくることもある。

旅人をおろそかにすれば、この世の闇は深くなる。

 

もしかしたら、その旅人は、タダモノではないよ。

 

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요

 

百年の夜の教え、もう一つ。

人の体には八万四千の穴がある、その穴を目には見えぬモノたちが行きかっている、

人は 穴で あらゆるモノとつながり、命はモノで蠢いている。

そもそも人は穴なのである。

 

けっして穴を塞いではならない。

 

モノとはモノノケでもあります。

カミでもあります。

命そのものでもあるのだそうです。

 

モノを粗末にしたらバチが当たるよ。

 

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요

 

思い出すのは百年前にこの世を襲った大地震

人びとは殺気立っていましたね、

この災いは、なにかの罪の報いではないかと怯えていましたね

そうかもしれないですね

この世では、いつの頃からか、旅人など追い払ってもよい、

使い捨ててもよい、殺してもよいということになっていた。

人びとはそれを文明開化と呼んでいましたね。

 

怯えは、たやすく、憎しみにすりかわる。

旅人を殺せ、どんどん殺せ、

やったぞ、バンザイ、もっとやれ、バンザイ

 

私も、男どもに取り囲まれ、竹槍を突きつけられました。

名を名乗れ、ガギグゲゴと言ってみろ、

男たちが叫びました。

彼らはよく知っているんです、

旅人は濁った音ではじまる言葉を話さないことを。

彼らはすっかり忘れてしまったんです

旅人は新しい歌をもたらす者だということを。

 

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요

 

そんなに おどろかさないでください。

歌が消えてなくなりそうです。 

いのちがしぼんでしまいます

 

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요

 

あれから百年たちました

この世はますます 素晴らしく怯えて 憎しみや悲しみが はびこっています。

でもね、この世はそもそも 生きとし生ける いのち はびこる 素敵な世界なんです

 

あなたの穴は蠢いていますか。

あなたのいのちは 歌っていますか?

旅人たちの足音が聞こえますか?

(トントントン)

さあ、あなたの扉を 開けてください

 

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요

그토록  놀래지 마세요……

 

 

旅人 その1 仲野麻紀!

 

旅人 その2 安聖民!

 

 

yuyantan-books.jimdofree.com

2022年11月13日 百年かもめデラックスツアー! @神戸・凱風館 ご報告

これは、私が関わっている「百年芸能祭」に、絶賛参加した「百年かもめデラックスツアー」のご報告。
 
演者は、玉川奈々福浪曲)、安聖民(パンソリ)、仲野麻紀(サックス奏者)の予定だったのですが、玉川奈々福がコロナのため休演となり、浪曲師&曲師の二人が抜けた「デラックス」ならぬ「テラックス」となってしまいました。
しかし、不屈の「百年かもめデラックス」である!
仲野麻紀(サックス・クラリネット・歌)、安聖民&趙倫子(パンソリ)が思いを込めて放った音と声は 二人の不在をカバーするにあまりある空間を呼び出した。
 
 

①オープニングは、「百年の夜の歌」

ふだんは少し口数の多いMCに徹している「口先案内人」が、この日だけは、これから開かれる「場」のテーマとなる詩を仲野麻紀のサックスと安聖民のソリ(声)の流れる中で読みました。
 
この百年の闇を越えて、新たな世界の扉を開く「音」「声」「歌」「物語」を携えてやってくる旅人(異人)たちがやってくる。

 

つづいて、

②仲野麻紀/百年の夜を超えてゆく歌

フランス、アフリカ、中東と境を超えて、近代を突き抜けて、広がりゆく「旅する音楽」。     
それは、けっして声を大にしては語りはしないけれど、植民地主義帝国主義の時代を、つまりは戦争と移民・難民の時代を生き抜いてきたこの世の旅人たちの歌です。
(言葉にしていちいち語るのは野暮というもの。音と歌がおのずと言葉を凌駕する)
 
奏でること、歌うこと、それ自体がこれまでの時代の「鎮魂」、そして、これからの時代の「予祝」。
(さあ、命が命のままに歌いおどる世よ、来たれ!)
 
そんな思いをひそませて、仲野麻紀の「旅する音楽」が凱風館の空気を震わせ、旅人たちの「場」を見事に開きました。

 

③安聖民&趙倫子 

 関東大震災百周年 創作パンソリ「にんご」

仲野麻紀の「旅する音楽」が開いたその場には、見えないモノたちも降り立ってざわめいている。
「旅する音楽」が広げてみせた、旅人たちの彷徨いの世界地図。そのなかにはもちろん、朝鮮から日本に渡ってきた旅人たちもいるのです。
声もなく、名前も忘れられたまま、「恨(ハン)」を抱えて、姿を失くしたあとも彷徨いつづける魂も無数にいることでしょう。
安聖民の「声/ソリ」が、そんな魂たちを極楽浄土へと送り出す。
なんとパンソリ唱者は、自由自在に魂たちにわが身を委ね、ムーダンにもなり、死者たちにもなる。
もちろん、生者の声でも歌います。
その「ソリ/声」は、旅人の証。朝鮮の言葉、日本の言葉が自由自在に流れるように入り混じる。
それは、「ピジン」とも「クレオール」とも呼ばれるものですね。奴隷たちの生きる場所、植民地の民の生きる場所で、故郷を奪われ言葉を奪われ支配者の言葉を身につけざるを得なかった者たちが、生き抜くために創り出した「いのちの言葉」ですね。

 

④ 百年座談

これは、演者+内田樹さんによる、いま演じられたばかりの音と声と歌をめぐる語らい。
ここでの語らいは、まずは、パリを生活の場としている仲野麻紀と内田樹さんの間で、植民地帝国であったフランスに旧植民地からやってきた移民たちが自らの言葉、あるいはクレオール言語で歌い語る光景が生き生きと語られました。
そこから、今さっき、関東大震災百周年をテーマに本邦初公開の創作パンソリとして演じられた『にんご』をいかに聞くべきか、という、とても重要な補助線が引かれていったのです。
「そう、これは、クレオールパンソリだ! その誕生に我々は立ち会ったのだ!」
と、内田樹さんは、「クレオールパンソリ」を発見し、名づけを行った。
発見される前から、クレオールな世界は在日の暮らしの中にあったものですが、
(とりわけ一世たちの暮らしの中に。クレオールゆえに、それが異人のしるしとなって殺されたことも、暮らしの中の記憶)
それが、あらためて発見され、クレオール世界を反映したパンソリが名づけを得ること、それは大事なことですね。きっと、一つの画期として記憶されることになるでしょう。
そして、その名づけまでの過程も含めて、すべては、この「場」が呼び出したものだということ。
「百年芸能祭」関係者として、私にとっては、これもとても大事なこと。

 
私たちには、新たな世界の新たな歌を呼び出す「場」が必要。

「百年芸能祭」はこれからも、神出鬼没、
「場」を開いては、この世に風穴を開ける「百年芸能同時多発テロ」はつづきます。
 
さあ、みんな、ドカンと行くよ、
命はびこる新世界
 



 

 

シンポジウム <グローバルな物語としての「パチンコ」-「在日」の表象と植民地主義の記憶>参加にあたってのメモ

「複雑さを増す社会が織りなす重層的な記憶を、自己完結的な一国民の運命という物語叙述にまとめあげようとする作業は、もはや困難である。」テッサ・モリス・スズキ

 

 

① まず最初に、「パチンコ」に対する感想、もしくは違和感。

 

◆「在日」が自分の生きている場所から語りえなかったことを、「在日」を含みこむ植民地時代からの流民・移民の大河物語として、エンタメとして、成立させていること(とりわけapple tvの映像のほう)への驚き。(こんなことに驚くほど、日本の在日をとりまく表現の状況は厳しいということでもある。)

 

◆素朴な感想としては、

パール・バックの「大地」を読んだときの中国人の気持ち、

屋根の上のバイオリン弾き」を観たときのユダヤ人の気持ち、

を思わず想像する。

ユダヤ人へのポグロムと重なり合う形での朝鮮人虐殺も当然に思い起こす。

 さらにはKKKによる黒人へのリンチも当然に思い起こす

 「小さな巨人」や「ソルジャーブルー」に描かれた先住民虐殺も思い起こす)

 

◆とはいえ、違和感はぬぐえない。

宣教師の一族であること、イサク、ノア、モーザス、ソロモンといった男性陣の日常生活で使われる呼称(少なくとも私はこういうのは聞いたことない)、幼少時から子ども(ソロモン)をインターへ通わせる(身近に子供6人全員をインターに通わせた一家がいるが、インターに通う在日はまだごく少数派。学費は一人当たり年間100万円はかかると聞いている)、さらに外資系勤務という状況。これは、在日社会においてきわめて少数であるのは間違いない。

 

◆「在日」の物語と言いつつ、そこに漂う気配は、コリアンアメリカンのそれのようにも感じられる。

 

★なるほど、原作者のコリアンアメリカンのミンジン・リーによって、アメリカにおいて、「在日」は発見されたのだな。

 

そして、おそらく、アメリカをセンターとする「コリアンディアスポラ」の世界地図に、「コリアンディアスポラ」の日本版として書き込まれた。

 

その際に、

「宣教師」「聖書から取ったカタカナ名前」「アメリカへの強烈な憧れ」といった設定が、コリアンアメリカンがアメリカ人を主な対象とする読者層や視聴者層(テレビでは「ポグロム」としての虐殺」も加わる)に向けて、「在日」を描くときのイメージ喚起の装置として使われているように思われる。

(ここには、誰に向けて、どのように語る、という問題もある。関東大震災における朝鮮人虐殺、騙されて大陸へと慰安婦として連れて行かれる娘たち、民族独立運動と労働運動、そしてそれに対する厳しい取り締まり。これらの原作にはない描写が差し込まれている映像版が、韓国の視聴者を強く意識していることも間違ない。)

 

さらには、在日社会における北朝鮮へのシンパシーが描かれる原作は、それがあくまでも韓国において一般的に流布されてきた認識に基づくもののように思われる。データに基づく実証的なものではないということ。

65年の日韓基本条約を境に日本社会での生きやすさを基準に、韓国籍へと在日が傾斜していった現実などは踏まえられていない。

(80年末から90年初めにかけて、この時代にもなお、韓国・大田で暮らしていた私は、近所の人々に、「日本では朝鮮総連が大きな力を持っていて危険なのだろう?」 と再三尋ねられた。)

 

「在日」の日本における法的地位、朝鮮籍韓国籍にまつわる複雑な国籍の問題についても、それが韓国人やコリアンアメリカンにとっての国籍やアイデンティティのイメージを「在日」の現実に投影した曖昧な記述に終始していること、

在日のありようを法的・制度的に条件づけているものをしっかりと押えずして語られる在日の物語であるということ、

それもまた違和感の生まれいずるところだ。

 

★つまり、「パチンコ」で「在日」を表象するということも含めて、これが英語圏からの発信で初めて世界的広がりを持って発信された「在日」の物語であることを思うと、「在日」当事者としては、違和感と危惧を抱かざるを得ない点は多々ある。

 

 

★同時に、

さまざまな「在日」の物語を増殖させていく契機となる、その扉を開いた物語として評価されべきとも思われる。コリアンディアスポラの世界地図に、どんな「在日」の物語を私たちは増殖させていくことができるか。 それはこれからの大きな課題。

 

 

② そこで、

あらためて、グローバルな記憶、ナショナルな記憶、パーソナルな記憶の再構成の問題として考えてみる。

 

◆まず、そもそも「在日」って何? 一言で言えるはずもない。

 

私たちは、そもそも切断されていて、歴史を俯瞰すること、時系列で語ること、が困難な場所で生きてきた。

 

私が「在日」という日韓のはざまにとらわれた状態から、コリアンディスポラという新たな位置づけに初めて目を開かされたのは、中央アジアの高麗人(コリョサラム)を通してのことだった。

中央アジア、とりわけカザフスタンの荒野(ウシトベ、カラガンダ等々)は、ソ連によって追放されてきた民族が生き抜いてきた地でもあって、コリアンディアスポラに出会うと同時に、チェチェンディアスポラクルドディアスポラといった諸民族のディアポラとの遭遇もあった。かつて、ソ連の権力者たちは、彼らディアスポラの民を「ソ連の歴史に書き込まれる以前には、彼らは歴史を持たぬ野蛮人であった」とうそぶきもしたわけだが、権力の側、マジョリティの側から見れば、「ディアスポラ」の民は当然にそういうことになる。

 

記憶を語る声を封じられ、あるいは都合よく記憶を盗用される。

それが「在日」であるということであり、「マイノリティ」であるということでもあり、「デイァスポラ」ということでもあり、「権力をもたない」ということでもある。

(実は「国民」もまたそうであるということを忘れてはならない。)

 

それゆえ、私たちはいわゆる「歴史」に対抗する「物語」を語りだす。

「歴史」に対する「偽史」を立ち上げる。

そもそも、「歴史」そのものがフィクションであるとしたら、「歴史」と「偽史」との間に真偽の境界線などを引くことはできるのか。

 

重要なのは、語り手が人びとの記憶に対して、命に対して、どれだけ真摯に向き合っているのかということ。問われるのは重箱の隅をつつく真偽論争よりも、真摯であるかどうかということ。「良質な物語」であること。

 

グローバルな物語として登場した「パチンコ」は、韓国のナショナルな記憶と、日本のナショナルな記憶の葛藤の場ともなりうるだろう。

 

◆同時に、グローバルな記憶として語りだされた「パチンコ」は、日本のナショナルな記憶との葛藤を呼び起こしもする。ナショナルな物語が抑圧しているものを、グローバルな物語が解き放つ。

 

世界中でヘイトクライムが蔓延している中での、日本における「在日」の状況、解決なき「慰安婦」問題、関東大震災における朝鮮人虐殺を事実ではないという東京都知事……。

このバックラッシュの時代に、グローバルな物語(国家を超えるネットワークにより構築される記憶の物語)が、日々構築されてゆく偏狭なナショナルな物語に風穴を開ける声となり、力となる可能性もあるはず。

 

植民地支配における朝鮮人に対する抑圧、差別、ヘイト、朝鮮人社会における家父長制の問題、

さらには複合差別の中で生きる道を切り拓いていこうと闘う女たちの物語としても、テレビは観ることができる。

 

とりわけ、映像の最後の場面において、市場で、「美味しいキムチ、あります」と初めて堂々と大きな声で叫ぶソンジャのあの姿を見よ! あの声を聞け!

(あの声を聞いたシンポジウムの登壇者のひとりは、映像版のタイトルは「パチンコ」じゃなて「キムチ」でもいいんじゃない、と言った。)

 

あの場面に向かって、コリアンアメリカンの女性が率いる映像制作陣は、「パチンコ」シーズン1の物語を構築していったのだ。 あの声は、家父長制、ミソジニー等々差別と闘う韓国―在日―コリアンアメリカンの女たちをつなぐ声にもなるだろう。抑圧されている女たちがみずからを解き放つ最初の声にもなるだろう。

 

 

 

◆「パチンコ」から増殖する物語として、われらはどんな物語を書こうか?

つまり、グローバルな物語がすくいあげる記憶もあれば、それによって覆い隠される記憶や声もあるということを踏まえつつ、

個々の記憶や声をいかにすくいあげ、もうひとつのグローバルかつマイノリティの物語としていかに語りだそうか、ということ。

 

そもそもパチンコ業界への在日の流入の勢いがついたのは、60年代前後。パチンコに悪いイメージがついて、日本人が退いていったがゆえに、参入しやすい業界となったこと。

鉄屑、不動産、町工場、友禅、捺染工場等々で蓄積した資本で転業という流れもあったという。

 

たとえば、私なら、「パチンコ」からスピンアウトした物語として、「横浜スカーフ」を書こうか、なんて思ったりもする。

 

小説『パチンコ』下巻で登場する地上げの標的になった在日女性の土地は、元は染め物工場だったということ。これはわたし的にはちょっと面白い。私の母方の実家は捺染工場を営んでいたから。

横浜には「横浜スカーフ」という地場産業がある。横浜スカーフの捺染工場の経営者には在日も少なくなく、しかも「横浜スカーフ」の染めの技術は友禅からもたらされている。友禅の染めの行程で「蒸」と「洗い」という大変きつい労働の部分は戦前から朝鮮人が担ってきたのも知る人ぞ知る事実。

 

「スカーフ」「ヘップサンダル」「焼肉」「鉄屑」「町金融」というタイトルの物語が書けるかもしれない。

「パチンコ」前史であり、「パチンコ」とともにありつづけた物語でもあるゆえ。

 

 グローバルな記憶、グローバルな物語から、どんどんパーソナルな記憶、声、物語を立ち上げてゆく。

めざすのは、一つの物語が培養土になって、次々と、パーソナルな記憶の物語を増殖させてゆくこと。次から次へとさらなる培養土となる物語が生れいずること。