ファン・インチャン
私は文学を志してからほんの十数年しか経っていません。先生の詩歴に比べれば本当に何ということもない時間を過ごしただにすぎないのですが、あの頃と今を比較してみると文学に対する私の考えも、文学として為そうとすることも大きく変わったという気がします。お伺いします。先生が文学の道に足を踏み入れた頃、先生にとって文学は何であったのか、また今は何であるのでしょうか。
キム・ヘスン
ひとりの人間の文学の姿は、その人が書きつづけた期間とは何の関係もありません。李箱を見てもそうですし、ランボーを見てもそうです。とはいえ、私は彼らより長い期間文学に対面しているのですから、何か変わったことがあるといえば、あることでしょう。とにかく文学を始める頃は、文学は私にとってとても面白かったのです。言葉とは本来的に穴が開いたものだという……。
だから詩は、何か言い表されていないことを言い表すようになるという自意識もなく、空っぽの中心が詩の言葉を掴んでいるという虚無の意識もありませんでしたが、文学をする時にはある状態の中に入るような感覚がありました。独裁政権の中での無風地帯のような空間に入る感覚です。そこには私が夢を抱くときに灯される光のように、私だけの光があったようにも思います。あらゆる記憶の喚起は嘘が付け加えられるものですから、私のこの答えも嘘かもしれません。しかし、私はそのとき、私の夢の中を照らす光の下で、夢の中の人のように何か「して」いました。今は私の体が砕けて燃やされた残骸で作られた砂漠、現在という何も無い状態、休みなく中立地帯に逃げる今を捕まえて彷徨っているような感じです。現在はいつもあると思えばなくて、なのに実存する神の顔です。そこがすなわち砂漠なんです。
まだ『地球が死んだら月は誰を回る?』の三部の状況から抜け出せずにいます。こういう砂漠での彷徨が「詩」だと思いもするし、ここから抜け出さなければならないと思いもします。最近は不眠症や心拍数異常、神経症が長く続いているため、不眠について多くのことを考えていますが、眠るのでもなく、はっきり目覚めているのでもない彷徨の中で、横になったまま、なんというかおぼろな昼間を漂うような感じにとらわれている時間が多いのです。この彷徨には指標もなく、方向もなく、中心もなく、イデオロギーもありません。この不眠の中で、私は実体が不在のイメージのように起居しています。多くの時間を横になって過ごしているのですが、私が彷徨しているこの砂漠の中をなんらかの声で打ち震わせたい衝動はあります。もちろん、この砂漠を根本的な時間の形態だと言うことはできません。この砂漠は、カレンダーの日付を平らに広げたような、私の一生の時間を平らに水平化したような場所ならぬ場所、非場所てきなものです。
私が新型コロナのオミクロン株に感染して苦しんでいたとき、息を吸ったり吐いたりしていると、喉なのか鼻なのか分からないところでアイリッシュの笛の音がしました。息を止めることはできず、音はずっと出ていて、どうしたらよいのかわかりませんでした。その笛の音のために私は物を言えず、意味のない音だけをずっと出していたのですが、そのとき私は私の中に正体不明の他者が住んでいることを、本当に体で知ることになりました。そのように私は私の砂漠の中で、まだ私が併合できていない自我の残余が生きていて、それがどんな音を出しているのかを知っています。それの声は私のものではないでしょう。だれか私ではない存在者の音声のようなものでしょう。私は実のところ、砂漠が存在するということだけを知っているだけ、砂漠の本当の姿はわかりません。にもかかわらず、私の不在性というか、空白というか、それを私の詩に曝け出さねばと考えることもあります。その砂漠の道ならぬ道 に或る声が住んでいるということを忘れずにいます。それは、追われたものたち、棄てられたものたち、名づけられる前のものたち、生まれて死んだが誰も覚えていない者たちが発する声です。その聞こえない声を聞きたいのが、私が最近向き合っている文学の姿です。ところで、こう言ってみると、このような考えが今の考えではなく、いつもそう考えてきたと感じられます。この彷徨の中で、私が生まれたときに失われたオンマの子宮をいつも探し歩いていたとも思われます。
ファン・インチャン
先生の言葉から、文学に対する実感のようなものを垣間見ることができるようです。思うに、先生にとって文学とは体の感覚に従う自然なことではなかったのでしょうか。体の感覚に従いつつ、同時に言語の虚しさを共に運用することですから、先生がおっしゃったように、それは砂漠を彷徨うようなことになるのではないのでしょうか。実体で非実体を構成し、非実感を取り込んで実感に転換することが、私が理解する先生の文学でもありますから。その過程の中で、先生が「生まれたときに失われたオンマ」と表現された、私の中の他者を発見することかもしれません。
キム・へスン
私たちは誰もがオンマを墓の殻のようにあとに残して生まれます。黒い鉛のように暗い胎から天然色の胎へと生まれます。夜から昼に生まれます。私たちが小さな点として孕まれ、成長している間、私たちは全的に母親の体で生きていました。私たちはそのときオンマでした。しかし、生まれた瞬間、私たちはオンマの墓になってしまうんです。オンマは私たちにオンマを残して去ってしまいました。この事件によって、私たちは全的に互いの墓になります。私たちはオンマの墓になり、オンマは私たちの墓になりました。墓同士の連なり合う孕みというわけです。しかし、オンマは去ったにもかかわらず、相も変わらず私たちの中に生きています。
私の根源であったオンマが消えてくれることで、私たちは猛烈な命の跳躍が可能になります。しかし、私たちは母親の体という穴、母親の体という出立、母親の体という死と共に成長します。私たちはオンマの死で「私」になりましたが、その死ゆえに死に向かって走ってゆくことになります。だから死と対面することなくしては生きているという実感を知りえない、いつも死を前にした「書く」が可能になるのでしょう。私たちが生まれるときに経験したお母さんを「失う」という事件のために、生きていくなかで「失う」が発生するたびに、私たちの「書く」が創りだされるのでしょう。「失う」は点滅し、その穴の太陽の下で私たちは詩を得るのでしょう。哀悼から一歩も進むことのできぬまま。私が死を書くことが、「生の真実」ということに触れようとしているように見えるのは、その「失う」が先行していたからこそ可能だったのではないでしょうか。