2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

太古の芸能の力について。 メモ

『列島祝祭論』「国栖」の章にて、安藤礼二いわく、 「芸能によって地上にもたらされる霊的な力は、現実の諸制度の基盤となった物質的な力である武力を凌ぐものであった」 「天皇のもつ力と芸能者のもつ力が等しかった」 cf)日本書紀 天武紀四年 二月の項 …

異神   「オリジナルとコピー」  

反復によって、オリジナルとコピーの差異は消失してしまう。重要なのはオリジナルではなく、コピーの方なのだ。コピーの反復こそがオリジナルの純化をもたらす。 (中略) 始原は隠されること、「空」であることによって、逆に反復をもたらす。反復は、外の…

こうして説経の異文は生まれる。  @奈良県宇陀市菟田野 日張山・青蓮寺

2020年2月15日 今日は青蓮寺で称讃浄土経(これは阿弥陀経の玄奘三蔵による漢訳)の勉強会の第一回。 この山道を上ってゆけば、日張山 青蓮寺。 今日は、同時に、旅するカタリによる古説経「中将姫御本地」のうち、雲雀山に関わる段を初めて試みに聞いていた…

安藤礼二『列島祝祭論』 メモ

キイワードは「習合」。 「習合」を経ることによって「原型」が立ち現われる。(諸言語が混交することによって原型的な言語が生成されるという「クレオール」という概念もそこに重ね合わせたい)。 論の出発点。 柳田國男の民俗学においても、折口信夫の古代…

佐藤弘夫『アマテラスの変貌 中世神仏交渉史の視座』メモ

神仏習合、本地垂迹の問い直し。 (問1)神仏習合は、異質な存在としての神と仏という観念の成立を前提としている、というのは本当だろうか? (問2)本地垂迹の「本地」の仏とはいかなる仏なのか? 古代、神は「祟る神」であり、「命ずる神」であった。 …

俊徳丸(信徳丸/身毒丸)の墓と言われる古墳を見に、高安に行く。

古墳の存在を知ったのは、後藤明生「しんとく問答」で。ずいぶん前に読んだ。 当時は東京暮らしだったので、そう簡単には行けなかったのだが、 今日、ふと、ここ(現住所:生駒の近く)から近いじゃないかと思い立ち、車で30分。あっという間に高安着! ★享…

語りとは単声ではない。   小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』メモ 2

小野和子が深く共感する中上健次の「語り」をめぐる言葉 語りは何によって成り立つのだろうと思う。語り手と聴き手の間には、親和力の漲った場所ができるはずである。語り手<私>は、その親和の場所の中で、いかようにも変る事が出来る。(中略)語りとは個…

「ほう、夜、明けたなぁ」  小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』メモ

この本の魅力は、 昔話を語ってくれる人々を求めて都市(仙台)から近郊の未知の山村を尋ねまわって(これはほとんど憑りつかれたかのような尋常ではない行動である。著者は淡々と探訪の日々を描いているのであるが)、 そうやって見つけ出した昔話の語り手…