2018-12-01から1ヶ月間の記事一覧

これは ⇑ 坂口恭平『建設現場』のなかの言葉だ。年末の予言のような言葉。

抜き書きしながら、自分の声も書きとめながら、これだけ読んでは意味をとりがたいであろう言葉の群れ。 もう崩壊しそうになっていて、崩壊が進んでいる。体が叫んでいる。体は一人で勝手に叫んでいて、こちらを向いても知らん顔した。 日誌にはなにか記録さ…

『野の道』の最後はこう締めくくられる。

野にあるものは野でしかない。それで充分である。ここには太陽があり土がある。水があり森がある。風が流れている。大きそうな幸福と小さそうな幸福とを比較して、それが同じ幸福であるからには小さな幸福を肯しとする、慎ましい意識がここにはある。宮沢賢…

祀られざるも神には神の身土がある。

これは宮沢賢治『春と修羅 第2集』 「産業組合青年会」からの言葉だ。 同じ言葉が、「作品三一二番」にも現われる。 - 作品三一二番 正しく強く生きるといふことは みんなが銀河全体を めいめいとして感ずることだ ……蜜蜂のふるひのなかに 滝の青い霧を降ら…

山尾三省の言葉を読むうちに、わけもなくざわめく心がだんだんと鎮まってゆく。

ここに書かれているのは、自我の外部へと出てゆくということ。 【問い】 いかにして「野の道」をゆくのか?「野の道を歩くということは、野の道を歩くという憧れや幻想が消えてしまって、その後にくる淋しさや苦さをともになおも歩きつづけることなのだと思…

シャマン・ラポガンは、文学におけるタオのことばと中国語の文字の関係を語る。これはとても大事なこと。

親愛なる日本の読者のみなさん、私は小説や散文を書きますが、私が文を書く“母体”はタオ語で、文字は漢字です。漢人(漢民族)の読者は、最初、私の作品を読むと、みんな私が書く漢字は“可笑しい”と感じるようです。その後、友人が私の作品の漢字や文法を直…

タオの勇士の条件は極めてシンプルだ、しかし、きわめて難しい。近代によって牙を抜かれ、本能を殺された者たちにとっては。

ヤミ族の勇士の基準は、舟を造り、家を建て、トビウオを捕り、シイラを釣り、物語を上手に話し、詩を吟じる、これらのことがすべてできる、ということだ。

みずからの人間再生のための文学、消費者ではなく生産者であり、みずから生きると同時に生かされえている命としての人間であるための文学。

シャマン・ラポガンの描くタオ族の美しいシイラ漁の情景を読む。 それはシャマンがシイラを釣り上げたあとのこの描写。わたしはシイラの、閉じたり開いたりするえらをずっと見ていた。櫂を漕ぐ手は止めていた。はるか遠くからの歌声が鼓膜を打った。歌声はこ…

『冷海深情』。新たな世界のための神話としての海洋文学はここからはじまる。

●「冷海深情」より「海は、歌い終わらない詩だ」と、シャマン・ラポガンの父は言う。 父と伯父は、詩で語りかけ、詩でこたえる。 ●「海の神霊を畏敬する」より。 「伯父が言うように、潜水漁の名手になるほど、漁獲は少なくなる。なぜなら、ほしい魚だけを選…

海の民タオの祈り。タオの作家シャマン・ラポガンの文学それ自体が祈りなのだ。歌なのだ。

●亡くなった子のための祈り「子どもよ、気を付けておまえの道を歩いて行くのだよ」「願わくば我らの膝から生まれた長女をお受け取りください この娘のお蔭で我らは祖父母となりました 娘を導いて白い島へお連れください 願わくば我らをシロカモメのような善…

石牟礼道子にとってアニミズム神は呪術神でもあるということ。

鳥獣虫魚草木石水風 アニミズムの神々を単に素朴な善良な神々なのだとは、石牟礼道子は思っていない。 『神々の村』P279 日々の暮らしとともにどこにでもいたあの在野の神々は、もとをただせば、人びとの災いを身に負うていた身替り仏であったり、災厄の神な…

関東大震災で虐殺された朝鮮人は「コメ難民」なのである。

1910〜1918 「土地調査事業」(これは台湾でも) 1920 「産米増殖計画」(もちろんこれも台湾でも)。 P69 一九一〇年の「併合」の「土地調査事業」以降、土地を追い出された小農民層は満州・シベリア・日本へと流れていたが、一九二〇年のコ…

柳田の“南島イデオロギー"は、アイヌ民族問題と「日韓併合」問題とを排除し、消去することで成り立っているのだと、村井紀は言う

P36 一九一九年の三一独立運動は都市部よりも農村部で盛んであったことはよく知られている。零細な小農民たちは役場を襲い土地の登記簿や強制的な作付け台帳を焼き払い、抵抗したのである。さらに関東大震災の犠牲になった朝鮮人たちとは、そのような小農…

植民地朝鮮の土地調査事業に関わった農政官僚としての柳田国男。その山人論はどこから来たのか。『遠野物語』、『石神問答』はいかにして生まれたのか、それを「植民地政策から切り離すことはできない。

と、村井さんは言うわけです。『後狩詞記』『石神問答』『遠野物語』三部作は、1909年〜1910年の著作。 この時期柳田は法制局参事官、内閣書記官記録課長として「日韓併合」に関与。植民地統治、その嚆矢としての「土地調査事業」に農政官僚として関わった柳…

シャマン・ラポガン『空の目』を読みつつ想い起こした石牟礼道子の文章を書き写してみる。

朝はたとえば、なまことりの話から始まるのです。 ひとりの漁師が、まださめやらぬ夢の中からいうように語りはじめます。 「いや、よんべは、えらいしこ、なまこのとれた。ああいうことは、近年になかったばい」 チッソ社長室に近い応接室の床にごろ寝をつづ…