キャベツをたっぷり

個食のごはんを炊くのも面倒で、夕食は簡単にソース焼きそばを作る。麺よりはるかにキャベツが多い。
昨晩はカレー。お子様ランチな食事の日々。
七人家族の家庭で育ったせいなのか、大雑把な性格だからなのか、カレーに限らず鍋を使う料理は、二人暮らしでも軽く七人分くらい作ってしまう。もう七人家族の実家を離れて二十年以上経つのに、いっこうに改まらない。
カレーはもう三日間食べている。後悔している。これも二十数年繰り返している。

子供の頃、はじめて食べられるようになった野菜がキャベツだった。すさまじい偏食児童だった。大根を食べられるようになったのは中学生になってからだろうか、茄子は社会人になってから、炒めた玉ねぎが食べられるようになったのも同じ頃だったような。
今でも、生姜がダメ、トマト、ピーマン、パプリカ、人参、茗荷、紫蘇、梅、生のたまねぎ、ざっくり切った長葱、コリアンダー、セロリ、春菊、レバー、らっきょう、せり、うど、三つ葉、シナチク、ザーサイ…、大人向けの素材はたいていダメ。

中央アジアを旅したときに、なにかとトマトとコリアンダーがたっぷりだったのには、食事のたびに死ぬ思いをした。中央アジアのコリアンが朝鮮料理の店に連れていってくれた時には、これで生き延びられると思ったのだが、注文した温麺の上をみじん切りのトマトとコリアンダーが覆っているのを見た瞬間に、生きては帰れないような気がした。

池内紀の「生き方名人 たのしい読書術」をぱらぱらと眺めている。内田百輭林芙美子坂口安吾田中小実昌といった私の好きな作家たち(芥川や太宰、井伏、堀辰雄等々総勢二十名)のことが、愛情を込めて書かれている。

「話せば一秒ですむけれど 書くと一千と一夜かかる」という長谷川四郎の言葉を池内紀は引いてくる。どうした、きみはへこたれたのか? しっかりしたまえ、という声を池内紀はこの言葉から聴き取っている。
うん、たしかにそうだ。長谷川四郎にも池内紀にも同感、同感。