11日、上智大学ミュージカルサークルの公演「Earnest in love」を神楽坂で観る。歌い踊るのを楽しんでいる様子はなかなかよし。この子達は、ミュージカルが大好きなんだろうな…、と「好き→突き動かされる」という一直線な心と体の動きを、微笑ましく、羨ましく思う。思い返すに、自分の中に「一直線」が息づいていたことは、果たしてあったかしらと、しばし、物心ついて以来の自分史上の「一直線」探し。
12日、雨。巣ごもり。「私の作家遍歴1」読了。自分の言葉に自分が反応して連鎖反応でねずみ算的に語りの宇宙が広がっていく。小島信夫的増殖話法。ヘルンからはじまって、漱石、チェンバレン、フェノロサ、ゴーガン、スティーブンソンあたりはまだ順当としても、ゲーテ、ネルヴァル、フーコー、ナポレオン、トルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフ、キップリング、ブレイク、カーライル、シュリーマン、ゴンチャロフ、スウェーデンボルグ、鈴木大拙、モンテ・クリスト伯(デュマ父)、椿姫(デュマ息子)、ハムレット、ドン・キホーテ…。これらの名前は小島信夫系語りの宇宙の惑星群のようなもので、この惑星群の周りに、数多の小惑星、彗星、ブラックホール、目には見えぬものの気配、狂気。
「だが、ひるがえって考えてみるに、私たちが世界のことに思いをのばすときには、既に狂気のさなかにあるのであろう。そうして狂気のさなかにあるとき、私たちは世界とかかわりあっていることを身を以って示していることもあり得るのである」
シュリーマンの挿話はかなり心惹かれた。語学の天才シュリーマンは、古代ギリシャ語でホメロスの叙事詩を、ギリシャの吟遊詩人たちと同じように朗誦するうちに(それが彼の語学の学習法でもあった)、朗誦する声を仲立ちにしてトロイが本来の姿を現し始めたのを観る。誰も実在など信じていなかったトロイが、シュリーマンの肉眼には見えるようになった。シュリーマンがトロイ発掘のためにギリシャのイタカに赴いたとき、イタカのギリシャ人たちはシュリーマンのことは勿論、ホメロスの『オデュッセイア』も知らなかった。シュリーマンはイタカのギリシャ人に、オデュッセウスがトロイ戦争のあとの長きにわたる漂流の末にイタカへと帰還するくだりを古代ギリシャ語で毎日朗誦して聴かせた。やがてギリシャ人たちもシュリーマンと一緒に歌うようになり、おそらくトロイを観るようになった。
『古代への情熱』を読んでみよう。